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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

テミスの剣

『テミス*1の剣』(中山七里,文藝春秋,2017年3月20日)を読了。

毎度お馴染みの「ウチの子に限って」という決まり文句だ。どうして母親というのは自分の子供を五割増し十割増しに見るのだろう。親の欲目ではなく,盲目だとしか思えない。(位置 No. 755)

母親の欲目,盲目は割り引いてとらえる。

法廷は感情ではなく論理が支配している。裁定に感情が介入すれば,法廷は私刑の場にもなりかねないからだ。従って裁判官が感情を判決の構成要件にしていいのは唯一つ,<市民感情>とやらに限られる。(位置 No. 1004)

論理が支配する場所に感情は持ち込まない。

それは君が未熟だからなのではなく,人間という存在自体が未熟だからなのだ――と,黒澤は答えた。人間の犯した罪を同族である人間が裁こうとする行為そのものが不遜であり,傲慢なのだ。本来,人を裁くのは神の仕事ではないかね――。(位置 No. 1063)

人を裁くのは神の仕事とわかった上で,人を裁く。

剣は力を意味し,秤は正邪を測る正義を意味している。力なき正義は無力であり,正義なき力は暴力である,といったところか。(位置 No. 1079)

テミスの剣は力の象徴。

「真摯な思いを誰が嗤うものか。わたしたち検察官や君たち警察官は権力を与えられている。権力を持つ者が真摯でいなければ正義はいずれ破綻する」(位置 No. 1269)

権力を持ったとしても,真摯であり続ける。真摯でない正義はいずれ破綻する。

無軌道は若さの代名詞だ。だから若者の多くはまず自分の羅針盤だけを頼りに走る。そして羅針盤の粗さゆえに惑い,迷う。迷った挙句に灯台の灯を探し求める。稚拙だから迷うのではない。生きることに真摯だから迷うのだ。(位置 No. 2180)

彼が迷っているのは,生きることに真摯だからなのか。

正論はいつの世も愚鈍で,生真面目で,幼稚な真理だ。だからこそ子供にでも理解できる。どんな浅学な人間にでも通用する。(位置 No. 2278)

愚鈍で,生真面目で,幼稚な真理だとしても,正論を大事にしよう。

マスコミが司法・立法・行政に次ぐ第四の権力と呼ばれて久しい。三権の監視役として,そして社会の木鐸としての存在意義は渡瀬も否定するものではない。しかし如何せん,マスコミのほとんどは市場原理に支配されている。売上部数と視聴率が神であり,指針であり,絶対だ。そうした構図では必ず全体の意識が易きに,つまり論理よりは感情に流れる。(位置 No. 2419)

全体の意識が論理より感情に流れてしまわないよう,気をつけよう。

個人の能力を軽視する人間は決まってチームワークを強調するが,ではその十人が十人とも凡庸以下の人間だったらどうするつもりなのか。

要は構成員一人一人をある分野のエキスパートに仕立てていけば最強のチームになる。ただそれだけの話だ。それを最初から無理と決め込んでいるから,チームワークなどという胡乱で耳障りのいいお題目に逃げようとする。(位置 No. 3907)

凡庸以下の人間は,徹底的に鍛えて,何かのエキスパートに仕立てる。

*1:ギリシャ神話に登場する女神テミス。テミスは右手に力を表す剣,左手に平等を意味する秤を持ち,正義を司っている。