『日産自動車極秘ファイル2300枚 「絶対的権力者」と戦ったある課長の死闘7年間』(川勝宣昭,プレシデント社,2018年12月24日)を読了した。
労組の首領「塩路天皇」との戦い
当時,40 歳前後で,日産自動車広報室の課長職にあったわたしは,仲間の課長たちとともに,日産に君臨する「塩路天皇」と呼ばれた労組の首領と熾烈な戦いを続けていた。
その名を塩路一郎といった。日産を中心に系列部品メーカー,販売会社の労働組合を束ねた大組織である日本自動車産業労働組合連合会(自動車労連)の会長の職にあった。(p. 11)
労組の首領と呼ばれる存在は,今後も生まれてくるのだろうか。
ゴーンの言葉はなぜ嘘になったのか
カルロス・ゴーンが日産の新しい主人として着任する。発した言葉は,次のようなものだった。
「どれだけの犠牲が必要か,痛いほどわかっている。私はルノーのためではなく,日産のために来た」(p. 13)
カルロス・ゴーンが発したこの言葉は,いつしか嘘になってしまった。
「組合は会社以上に会社のことを考えている」というおごり
「組合は会社以上に会社のことを考えている」とは塩路一郎の組合至上主義の常套文句であり,ゆえに「組合に反対するものは会社の敵である」と見なすと。(p. 32)
「組合は会社以上に会社のことを考えている」というのは,おごりとしか思えない。
川又社長が残した負の遺産
社長在任中,日産は高度経済成長期のモータリゼーションの波に乗り,大きく発展した。そのため,川又社長は「中興の祖」と讃えられ,長期にわたりトップの座に就き,経営陣のなかでは圧倒的な発言力を有したことから,「川又天皇」とも呼ばれた。社長就任五年目に神奈川県横須賀市に追浜工場が新設されたときには,構内に銅像が建てられたほどだ。
川又社長は確かに日産の発展に貢献したが,次の世代に残した "負の遺産" も大きかった。労使協調の行き過ぎで,労組による事前協議の既得権化とその自己増殖を許し,経営への介入を許容してしまったことだ。(p. 49)
川又社長時代,労使協調によって成しえたこともあったが,結果として労働組合の力を増すことにつながった。
トヨタ・ホンダ・日産の企業理念の違い
トヨタは企業理念に「よい品よい考」を謳い,効率至上経営を標榜していたし,後に世界的に有名となる「かんばん方式」の原型をつくりつつあった。二輪から四輪への脱皮を目指すホンダは,本田宗一郎のリーダーシップのもと,開発型企業の企業カルチャーを目指し,「技術の前に上下なし」をスローガンに掲げた。
対する日産は,どうだったか。(p. 68 - 69)
これらの理念が,今日のトヨタ,ホンダ,日産の姿に繋がっている。
マルクス主義を掲げる労組の論理
マルクス主義を標榜する労組は,「労働者を裏切って管理職になった連中がその作業を行うのは当然だ」と勝手な論理をかざした。(p. 143)
マルクス主義を標榜する労組がある中では,管理職にはなりたくないと思ってしまう。
「鉄サビ」を除去するのは内部の人間である
錆は鉄より生じて,やがて鉄そのものを滅ぼす――といいます。
日産という企業内に生じた塩路会長という鉄サビは,我々日産人が除去しなければ,誰も取り除いてくれないのです。
そのことを肝に銘じて,明日から,生産現場に向かおうではありません。(p. 157)
日産人の心を動かした檄文である。
現場の部課長が担うべき業務
会社が会社としてやるべきことを会社の意志で(組合の同意なしで)行える体制を実現すること。又,これにより,現状の労使関係を少なくとも正常と呼べる状況に再構築すること。
現状の労使関係が会社の発展を著しく阻害していることから,少なくとも,現場の部課長をはじめとする会社の組織が整々粛々と業務(人事異動,任命,業務改善,生産遂行,原価低減等)を遂行できる体制だけは早急に実現させる必要がある。(p. 209)
現場の部課長の業務は,人事異動,任命,業務改善,生産遂行,原価低減等である。これは今日でも変わらない。
顧客志向に徹した会社への転換はできたのか
日産の体質をもっとも知悉しているマル労のメンバーで再度プロジェクトを組んで知恵を出し合い,プログラムの骨子をつくり上げた。
その第一のポイントは,「効率至上主義のトヨタとも,開発型企業のホンダとも違う,顧客志向に徹した会社に生まれ変わる」というものだった。顧客志向の欠如が日産のもっとも悪しき体質の一つだったからだ。(p. 257 -258)
果たして,日産は顧客志向に徹した会社に生まれ変われただろうか。
日産は「餓死した貴族」だった
領地をたくさんもっているが,ひどく困窮している貴族がいた。領地から上がってくる利益はわずかにもかかわらず,貴族であるがゆえに領地を手放すことができず,もち続けた。そして,最後は餓死してしまった。餓死した貴族が日産だった。
日産の経営者たちは,その貴族と同じように,やるべきことをやらなかった。そして,ルノーから来たゴーンが,それをやってのけたのだった。(p. 272)
ゴーンは外部から来たからこそ,しがらみなく改革を断行できたという一面はある。
塩路一郎の権力が続いていたらどうなっていたか
もし,塩路一郎が強大な権力を握ったまま,経営を壟断し続けていたら,日産はもっと早い段階で重大な局面を迎えていただろう。久米,辻,塙という戦わない経営者のもとでは,特異な労使関係は温存された可能性は高いので,生産性でも,開発力でも他社に圧倒的な遅れをとり,早晩,激しいグローバル競争のなかでは,淘汰されていただろう。(p. 277)
塩路一郎の権力がなくなって数十年,日産は激しいグローバル競争のなかで淘汰されそうになっている。
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