2020年9月14日作成,2021年10月12日更新
『日本の大問題が面白いほど解ける本 シンプル・ロジカルに考える』(高橋 洋一,光文社文庫)を読了。
保険ではなく,あくまでもゼロリスク,さもなければ誰かの責任を追求して補償を求めるのが日本人のメンタリティです。(位置 No. 17)
何事にもゼロリスクはない。ゼロリスクを求めることは,ないものねだりだが,誰もリスクは怖いし,できれば避けたい。だから,ゼロリスク要求はごく自然かつ当然のように主張が展開される。日本人の中には,善意でそれが正しいと思う人も多いが,便利に自らの政治主張をそれで裏打ちする人たちすらいる*1。
リスク低減のための努力は重要だが,無尽蔵にお金をかけてよいものではない。リスク低減とコストはトレードオフの関係にあるのを知りながら,達成不可能なゼロリスクを要求し,選択肢を狭めるのはいかがなものか。
その一方で,財務省にはひとつの格言があります。それは「予算はかならずつくれる」というものです。どんなに予算折衝がこじれても,最後の最後にはかならず予算は仕上がります。
その主な手段は,
の三つに集約されます。(位置 No. 240)
「予算はかならずつくれる」という財務省の格言は,私の勤めている企業にも当てはまるかもしれない。
民主党の無策ぶりを批判する人のなかには,政府が今後成長を見込める産業に対して厚く支援する産業政策を成長戦略として行うべきだと主張する人がいますが,これも前に述べたように,現在の先進国ではほとんど行われていません。第一に,特定の産業に政府が肩入れすることは不公平の誹りを免れません。それに,そもそも事業家でもない政治家や役人に,どの産業が将来有望かなどということがわかるはずがないのです。(位置 No. 1635)
政治家や役人の描く将来など,絵に描いた餅にすぎない。
将来は,自分で描くしかない。
法人は個人の集合体です。そうであれば,経済活動をすべて個人レベルに分解して,そこで税金を取るほうが合理的です。本来,個人レベルで課税すべきなのに,さらに法人に課税することは,つねに二重課税の可能性をはらむことになります。したがって個人の段階で完璧に資産と所得が捕捉できれば,法人税は理論的には必要ないのです。(位置 No. 1701)
個人の収入を把握できるようになれば,個人の課税だけで事足りる。
それができていないということは,誰かが得をして,誰かが損をしているということに他ならない。
「ふるさと納税」の本当の狙いは,この税額控除をはじめて制度として組み入れたことです。さらに真相を暴露すると,ふるさと納税でははじめて住民税に税額控除を導入することができたわけですが,本当は所得税で NPO 法人や独立行政法人への寄付を税額控除できる仕組みにしたかったのです。(位置 No. 1785)
「ふるさと納税」は使った方がよさそうだな。
*1:政府や政治家には,民間では対処できないようなリスクをあずかる役割を担ってほしいと思う。