まだ,死ぬわけにはいかないが,年老いたときを想像するため『すぐ死ぬんだから』(内館牧子,講談社,2021年9月1日)を読んでみた。
「あんた達みたいなのは,ナチュラルって言わなくて,不精って言うんだよ」(位置 No. 123)
ナチュラルではなく不精。不精と言われないように気をつけよう。
「ハナ,そうなっちゃ困ることは口にすンじゃねえぞ。昔っから日本には『言霊』ってのがあってよ,口に出すとそうなっちまうんだ。言葉の霊がよ,そうさせるんだな。だから,そうなっちゃ困ることは,腹ン中で思っても絶対に口に出すンじゃねえぞ」(位置 No. 375)
私は腹の中で思っていることを口に出してしまいがち。
「しかるべき時にスパッと第一線から引くのは,老人の品格だろうよ」(位置 No. 485)
いつか来るであろう,しかるべき時にスパッと第一線から引く。
残された者は,消えた相手を思い出しながら,この先の人生を生きていかなければならない。初めて出会った日から死ぬまでの,笑い顔や怒り顔や,体のぬくもりや言葉や……可愛いところがあった,いいヤツだった,あの時は,この時は……。
先に消える者は幸せだ。(位置 No. 1209)
そうなりたくないのであれば,消える相手をつくらない。
「去る者は日々に疎し」で,人はいなくなればすぐに忘れられる。
各界の,どんな大スターでも重鎮でもだ。忘れられるどころか,三年もたてば「あの人,まだ生きてたっけ?え?死んだ?そうだっけ」となる。
その人が消えても,当たり前に動いていくのが世の中なのだ。誰が欠けようと,世の中は変わりなく動く力を備えている。(位置 No. 1563)
世の中の動きは,一人では変えられない。
若い人にはこういうチャンスがある。いや,老人にもあるだろう。だが,老人のチャンスは単発だ。
若い人は単発のチャンスで人脈を広げたり,次につなげる努力もする。うまくいかなくても,努力しながら待つ時間がある。
老人は体力的にも気力的にも,努力を続けることは難しい。人脈を広げることもだ。その上,待つ時間がない。
だから,老人は焦らない。期待しない。若い人なら単発のチャンスが次につながると期待するし,つながらなければ,焦る。老人だからこそ,幸いなこともあるのだ。(位置 No. 3025)
人脈を広げる,次につなげる努力をする,というのは続けていこう。
この「何とでもなる」という思いは,若者と老人のものだ。若者は「切り拓くから何とでもなる」と思い,老人は「すぐ死ぬんだから,何とでもなる」と思う。(位置 No. 3187)
背景は違っても「何とでもなる」と思い,チャレンジする。
親子でも家族でも,他人なのだ。人は別々の心臓を持っているのだから,みんな他人だ。これは冷酷なことではなく,ここから温かい関係を作るのが,人というものだろう。(位置 No. 3353)
他人と温かい関係を作るというのは,難しいことなんだと改めて思う。
今,思えば泪も喜びも,怒りも妬みも,何もかもが遠い夢,幻に思える。
出会った人も別れた人も,通りすぎた何もかもが,楽しい道草のようだった。
ジジババの人生は,ここから始まる。(位置 No. 3720)
いろんな出来事も,いつかは楽しい道草にすぎないと思うようになるのか。
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