『悪徳の輪舞曲』(中山七里,講談社,2019年12月1日)を読了。
「何事も非難する輩だけではない。道理の分かった者もいる。ただ道理の分かった者は大声を上げることがないので目立たないだけだ」
「声を上げなかったらいないも同然じゃないですか」(114 ページ)
声を上げなければ,何も変わらない。
確かに年を経れば経験も積むだろうが,だからといって誰もが観察力を養ったり,老人らしい賢明さを獲得したりするとは限らない。中には愚鈍さや浅ましさ,欲深さ愚かさのみを濃縮させる老人だっている。(127 ページ)
愚鈍さ,浅ましさ,欲深さ,愚かさを濃縮させた老人は,何人も思い浮かぶ。
人間ちゅうのは実に弱い者いじめが好きでな。折あらば自分より立場の弱い者をいたぶってやろうと,心の底で手ぐすねを引いとる。これに大義名分が加われば鬼に金棒や。天下御免で集団リンチができる。(139 ページ)
天下御免の集団リンチは,見ていて気持ちのいいものではない。
「こういう仕事をしているから余計に思います。およそこの世に,人が口にする正義ほど胡散臭いものはありませんよ」(141 ページ)
胡散臭く思われないよう,正義は口にしない。
人間というのは見たいものしか見ようとしないし,聞きたいと思うことしか聞こうとしない。記憶もそうでしてね。こうあってほしい,こうでなきゃ駄目だというかたちに変えてしまうんですよ。(212 ページ)
人間の記憶には,バイアスがかかっていると考えた方がよい。
法律によって刑の執行を免れた者には,法以外の裁きと責めが待ち受けていることを知らない。いや,知ろうとしない。知れば加害者に対する憎悪が減じるのを,本能的に察しているからだ。(244~245 ページ)
法以外の裁きと責めは,わかりにくい。
どんな人にも理解できる単純明快な話というのは,ある目的を持った団体なり勢力なりに利用されやすいですしね。そこからこれは自戒を込めて言うのですが,所詮人間というのは自分の知識の範囲でしかものを考えられません(252 ページ)
なんとなく知識の範囲に入っているような単純明快な話を使って,うまく人を使うようにする。
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