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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

未来のための電力自由化史

『未来のための電力自由化史』(西村 陽,戸田 直樹,穴山 悌三,一般社団法人 日本電気協会新聞部,2021年10月14日)を読了。

日本の電力会社の経営上の弱点として,たとえ取締役であっても部門長の機能しか持たず,経営陣の議論がダイナミックな経営変革のための場ではなく部門長による利害調整の場に過ぎないことが長年指摘されている。(p. 29)

この経営上の弱点は克服されただろうか。

言うまでもなく電力システムとは,数多くの発電機が同じ交流波によって同期(シンクロ)し,瞬時に需要との同時同量を達成しながら電気を送る機能を維持し続ける一種のアーキテクチャー(構造)である。(p. 100)

電力システムを端的に言うと,このような言い方になるのか。

変容・変革は,一つの技術進歩だけでは進まない。社会や経済,人々の行動・意識変化も含めた,多面的な進歩・変化が絡み合うことで,成長の芽が育ち,やがては既存のシステムを補完しつつ,中には代替するものが現れる。(p. 151)

このような書き方をされると,変容・変革が進まないのは,致し方ないのかもしれない,と思えてくる。

「心理学の分野で,リスク認知バイアスと呼ばれるものがある。人には,身近な利用しやすい事例だけに頼って判断してしまう,知的ショートカットと呼ばれる傾向がある。この傾向故に,大災害直後の政策決定は,直前で起こった災害を他のリスクよりも必要以上に過大評価してしまい,不合理なものになりやすい」(p. 171)

2011年3月11日直後の政策決定は,リスク認知バイアスになっているのは明らかであるが,それを正常に戻すのに大変な労力が必要である。

この電気事業の発展はいわばテスラ・インサルモデルの完成期への道のりであって,これによって世界の電気事業システムは偉大なレガシーとなり,電気を作り届ける仕組みとしてほぼ 100 年にわたってあらゆる挑戦者,例えばマイクロガスタービンやローカル自立グリッドを寄せつけなかった。レガシーシステムに圧倒的な規模の経済と品質上の利便があったからであり,例外的な自家発電や技術実証を除いては電気は供給者が届け,ユーザーが使う,というのがルールであった。(p. 237)

電気事業システムは 100 年にわたって安泰であったが,これから先の 100 年も安泰であるとは限らない。

「電気事業はもはや供給設備に巨額追加投資をして課題対応する産業ではない」

電気事業は,これまでの常識から脱却する必要がある。

『失敗の本質』との対比から教えられることは,自由化に直面した電力会社も強力な硬直的パラダイムと自己保存願望を持ち,ただ一面では伝統的な価値観のために懸命に働く多くの人員を持つ,典型的な日本人の組織であったということである。(p. 300)

日本の電力会社は,典型的な日本人の組織であることに同意。

戦略がインクリメンタル(場当たり的)でありグランドデザインがないこと,意思決定が集団主義であることなど,枚挙に暇がない。

64 年の旧電気事業法制定から 50 年以上を経た 2020 年 4 月,旧一般電気事業者のネットワーク部門は法的分離され,その計画等は実質的に規制当局が主導する。かつての予言はかない,国は再び「自由」を手にしたが,私企業の活力をいかに有効に引き出しながらそれをどう行使できるか,この先には大きな難問が待ち受けている。(p. 323)

ネットワーク部門は法的分離されたばかり。

国・ネットワーク会社は,そのメリットを活かしきれるか。

未来を正確に予測することは困難であるが,リドレーは「イノベーションのアマラ・ハイプサイクル」として「人は新しいテクノロジーの影響を短期的には過大評価し,長期的には過小評価する傾向がある」という。(p. 332)

新しいテクノロジーの影響を正しく把握して,時流に乗り続けよう。

更新履歴

  • 2021年12月13日 新規作成