『寝ながら学べる構造主義』(内田 樹,文藝春秋,2004年4月20日)を読了。
官僚の答弁はたしかに専門的語彙と専門的知見に満ちあふれていますが,「そもそも政府とは誰のためにあるものなのか」とか「市場とは何のことなのか」とか「国際世論とは誰の意見のことなのか」といった,そこで現に語られている議論の根本になっているはずのことは決して問われることがありません。(6-7 ページ)
そもそもの話を始めると,なかなか前に進めないこともある。
無知というのはたんなる知識の欠如ではありません。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果です。無知は怠惰の結果ではなく,勤勉の結果なのです。(8 ページ)
無知は勤勉の結果というパラドックス。腑に落ちない。
私たちはつねにある時代,ある地域,ある社会集団に属しており,その条件が私たちのものの見方,感じ方,考え方を基本的なところで決定している。だから,私たちは自分が思っているほど,自由に,あるいは主体的にものを見ているわけではない。(20 ページ)
ものを見るとき,意図的に時代,地域,集団のしがらみを外してみる。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども,実は,その自由や自律性はかなり限定的なものである,という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。(20 ページ)
自分の判断や行動の生み出す構造を知り,自由と自律性の程度を知る。
あらゆる文物にはそれぞれ固有の「誕生日」があり,誕生に至る固有の「前史」の文脈に位置づけてはじめて,何であるかが分かるということを,私たちはつい忘れがちです。そして,自分の見ているものは「もともとあったもの」であり,自分が住んでいる社会は,昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるのです。
前史に思いを巡らせると,見えてくるものもある。
- 価格: 858 円
- 楽天で詳細を見る
更新履歴
- 2021年12月15日 新規作成