『逆説の日本史1 古代黎明編 封印された「倭」の謎』,『逆説の日本史2 古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎逆説の日本史2 古代怨霊編 聖徳太子の称号の謎』『逆説の日本史3 古代言霊編 平安建都と万葉集の謎』(井沢元彦,小学館,1998年5月1日)を読了。
荘園が増えれば増えるほど,日本国政府の力は弱まるのである。そして,「名義料」という養分で藤原氏だけは肥え太っていく。
これはまさに,宿主と寄生虫の関係そのものではないか。
寄生虫(藤原氏)が本来宿主(日本国)に行くべき養分(税)を途中で吸い取ってしまう。そのことによって宿主は痩せ衰え死にかけるのだが,寄生虫は宿主がどうなろうと知ったことではない。あくまで自分のことだけを考え養分を吸いつくす。(位置 No. 1265)
藤のとりついた木(日本)は枯れてしまうか。
平城京から平安京への遷都が行われたのは,「王朝が交替した」からである。「道教と称徳女帝編」でも述べたように,天武・持統王朝は称徳女帝で断絶し,天智王朝が復活した。白壁王が即位し光仁天皇となったのである。(位置 No. 1895)
「無罪の罪で死んだ者こそ最も激しくタタリをなす」という信仰,すなわち日本型の怨霊信仰が既に存在していたからである。
「日本型の」と言ったのは,もともと中国大陸から伝来した怨霊信仰は,儒教の母体となった一種の祖霊信仰であり「子孫の祭祀を受けられない霊はタタる」というものだったからだ。(位置 No. 2011)
無罪の罪で死んだ者はタタリをなすから恐れられる。現代でも,無罪の罪で死んだ者はそれなりに恐れられるかもしれない。
日本の歴史は怨霊の歴史であり,日本の宗教とは怨霊信仰のことである。
そして日本人は常に外来の宗教に対して,「怨霊の鎮魂」を期待してきた。
これが日本史の基本構造であり,これがわからない限り,日本史の真の姿は見えない。(位置 No. 2119)
日本の歴史は怨霊の歴史という観点で見れば,なるほどなと思うことがある。
日本以外の国の人なら,たとえばイギリス人なら,自国を亡国の淵に追い込んだ思想について「ほどいていくのが大事なことだ」と考えて,分析検討に手をつけるはずである。そうすることによって初めて,歴史の中でその思想を位置づけることができ,将来への教訓とすることもできる。
ところが日本人はしばしばこんな「ケガレ」たことは「水に流し」て,「もっと大事ななすべきこと」をやるべきだと考える。(位置 No. 2626)
日本ではケガレは水に流されて終わってしまう。
ただ日本人は「人種差別」というものを少し誤解していると思うのは,本当の「人種差別」とは,「人間が人間を差別する」ことではないという点だ。
そうではなくて,他の人種(人間)を人間とは見ずに「動物」だと考えることが,本来の「人種差別」なのである。(位置 No. 2906)
人間を人間と見ないのが本来の「人種差別」。
「日本国憲法によって戦後の平和は保たれた」というのも,結局これと同じ主張なのである。
私は日本の戦後平和は,安保(日米安全保障条約)と自衛隊という「優れた警備システム」があったからこそ保たれたのだと思う。しかし,「進歩的文化人」をはじめとして日本には「戦後平和は憲法のおかげ」という理屈に合わないことを主張する人々が,まだまだたくさんいる。(位置 No. 3441)
2024年になっても,進歩的文化人の主張は変わらない。