『逆説の日本史4 中世鳴動編 ケガレ思想と差別の謎』(井沢元彦,小学館文庫)を読了。
完全な儒教国家でないからこそ『源氏物語』が生まれたように,完全な律令国家でないからこそ,「武士」が生まれた,といえる。つまり,武士とは日本文化の独自性を極めて明確に示す重大な存在なのである。(167 ページ)
律令国家では「武士」は生まれなかった。数百年にわたって武士の時代が続いたのは,日本ならではである。
白河上皇には有名なエピソードがある。
「賀茂川の水,双六の賽,山法師(比叡山延暦寺の僧兵)」だけは自分の意のままにならないと嘆いた,という話(天下の三不如意)である。これは裏を返せば,摂関といえども自分の思いのままに動かせるということだ。(208 ページ)
天下の三不如意という話は覚えておこう。自分の思いのまま動かせることが増えたら,使ってみよう。
「法の原則」と「血縁倫理の原則」とが絶対的に矛盾する立場に立たされたらどうなるか。これは中国だけでなく,多くの国でも問題であった。ユダヤ人の日本史家シャピロ氏はかつて私に次のように言った。「イスラエルの歴史でも日本の歴史でも,大変な問題が次々に出て来ますね。しかし日本史にあってイスラエル史にないもの,それは義朝です。子が父を処刑したという例です」と。確かにその通りである。おそらく中国でもないであろうし,たとえ隠された事例はあっても,それによって官職を得るなどという事例はあるまい(『現人神の創作者たち』山本七平著 文藝春秋刊)(223 ページ)
世界の歴史でも,源義朝のように子が父親を処刑した例は稀である。
日本人はケガレを徹底的に嫌う体質がある。逆に言えば,日本人にとって最も好ましいもの,価値あるものは,「ケガレていないもの=キレイなもの」ということになるはずだ。
一方,日本人には「和」を絶対の道徳とする,平和を好む体質がある。つまり平和というのは日本人にとって,自由などよりもはるかに価値ある最も大切なものということになる。
この二つを結びつけて頂きたい。
簡単なことで,日本人にとって「平和」とは「最も大切なものである。(ゆえに)最もキレイなものである」ということになるはずだ。
「平和はキレイなもの」
これこそ日本人の平和に対する最大の誤解なのである。(285 ページ)
平和の裏にはケガレがあることを忘れてはならない。
近代以前の人間は,平家の急速な滅亡を「不徳」つまり道徳的欠陥によるものだと見たが,これはもちろん儒教的偏見であって,真の理由ではない。
では,その真の原因とは何か?
それは結局,平家に「グランド・デザイン」が無かったことによる。
ビジョンと言い換えてもいいし,将来の展望と言い換えてもいいが,平家には武家が天下を取った時に,それをどういう形で運営していくべきかについて,何の計画もなかった。そして,そうであるがゆえに,清盛は藤原氏の真似をしたのだ。(350 ページ)
「グランド・デザイン」がなければ,組織や仕組みを持続させることはできない。