『嗤う淑女』(中山七里,実業之日本社文庫)を読了。
「私知ってるの。世の中にはね,逃げる人間と闘う人間のふた通りがあるのよ。でも自分が逃げる方だとしても決して恥ずかしいことなんかじゃない。だってそれは本能なんだもの。本能に逆らったら違う自分になっちゃう。ツッパる必要なんて何もない。いいのよ,本当の自分のままで」(位置 No. 171)
逃げる,闘う,私はいずれを選ぶだろうか。逃げることの方が多いか。
卒業して十年近くも経てばお互いの環境は激変し,既に高らかに笑う者と陰で笑われる者に分かれてしまう。同窓会というのは,自分がどの位置にいるかを確認できる場であり,そんなところに顔を出せるのは現状を誇りたい者か,自分より不幸な人間を見つけて安心したい者しかいない。(位置 No. 863)
現状を誇りたい者,自分より不幸な人間を見つけて安心したい者,同窓会に出会う彼・彼女はどちら側だろうか。
あなたが大事に思っているほど,会社はあなたを大事には思ってくれません。真面目な人ほど錯覚しがちですが,会社はあなたを決して護ってくれません。(位置 No. 1151)
会社が護ってくれるケースと護ってくれないケースを想定しておこう。
幸せはカネでは買えないと誰かが言った。きっとそれを言ったのはマリー・アントワネット並みの世間知らずに違いない。借金で辛酸を舐めた紗代には分かる。大抵の幸せはカネで買える。ただしカネで買えない幸せも少しはあるというだけのことだ。(位置 No. 1458)
私の経験でも,カネで買える幸せは結構ある。
いい齢をしていながら自己顕示欲と自立心の区別もつかず,髭の生えた小学生が自己を正当化するために他人を攻撃する。最近の若いヤツらが起こすのは大抵そんな事件であり,犯人を検挙する度にこの国の法律を変えて欲しいものだと麻生は思っている。(位置 No. 2358)
自己を正当化するために他人を攻撃することが,より当たり前になったとき,世の中はどうなるだろうか。
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