2020年5月16日更新
『憲法がヤバい』(白川 敬裕,ディスカヴァー携書,2013年7月5日発行)を読了。
大正時代,日本の憲法学者であった美濃部達吉という人が,当時の憲法(明治憲法)に関する学説(天皇機関説=「国家はひとつの法人であり,君主は国家という法人の機関である」という考え方)を発表しました。(p. 20)
この学説は異端とされ,封じ込まれた。そもそも,国家とは一体何か。
国連憲章(国連の憲法のようなもの)の 51 条には「集団的自衛の固有の権利(英語文の直訳)」または「集団的正当防衛の自然権(フランス語文の直訳)」とあり,第二次世界大戦後,日本の独立を認めたサンフランシスコ平和条約にも,「日本が主権国として国連憲章に掲げる集団的自衛の固有の権利を有する」と書かれています。(p. 65)
集団的自衛は,国際的に認められた権利である。
「天は自ら助くる者を助く」という自助の精神は,イギリスの著述家サミュエル・スマイルズの『自助論』(竹内 均訳 三笠書房)で紹介されている格言です。
訳者は,この自助とは,「勤勉に働いて,自分で自分の運命を切り拓くことである。つまり他人や国に頼らないことである。これを現代流にいえば自己実現ということになる」と解説しています。(p. 80)
自助とは,自己実現のこと。
『これから「正義」の話をしよう』(鬼澤 忍訳 早川書房)の中で,サンデル教授は正義について,次の三つの考え方を示しています。
第一の考え方「正義は,最大多数の最大幸福を意味する」
第二の考え方「正義は,選択の自由の尊重を意味する」
第三の考え方「正義は,共通善について判断することが含まれる」
サンデル教授は,第三の考え方を支持すると述べ,「公正な社会を達成するためには,善良な生活の意味をわれわれがともに考え,避けられない不一致(価値観などの不一致)を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはいけない」と説きます。(pp. 105 - 106)
価値観などの不一致を受け入れるためには,互いに歩み寄るしかないのか。
自然権,社会契約説の思想と,これに基づく「憲法の知恵」が日本に定着してきたことも,「超越的な何か」を明確に限定しなかった古代日本人の感覚と無縁ではないでしょう。(p. 115)
「超越的な何か」を限定していない事が,良かったのか。
イギリスの思想家ホッブズは,国家や法律がない自然のままの状態(自然状態)だと,「万人の万人に対する闘争」でしかないとして,「人々は,争いを抑えるために社会契約を結び,自分たちの権力を国家に譲渡した」と説きました。(pp. 162 - 163)
人々は争う事を止める事はできない。だからこそ,国家が形成された。
改正草案は,日本国民に対し,「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守ること」「互いに助け合って国家を形成すること」も要求しています。
こんな大転換がはたして許されるのか,何か取り返しのつかないことになるのではないか,そんな危機感から,本書を執筆しました。(p. 201)
誇りを取り戻す事は,決して悪い事ではないはずだ。