2020年4月16日更新
『沖縄の不都合な真実』(大久保 潤,篠原 章 著,新潮社,2015年1月20日発行)を読了。
沖縄における「総意」「悲願」「一丸」といった言葉の使用は,民主主義の対極にある「異論は許さない」という,旧時代の風潮を意識させます。(p. 20)
145 万人*1いる沖縄県の「総意」ということなんて,ありえない。
福岡から選挙取材の応援で沖縄に来てくれた同僚が,「沖縄って,本音と建前があるんじゃなくて,『本音と建前をみんなで演じている』感じですね」としみじみ言ったことがありました。うまい表現だなと感心しました。「振興策が欲しい」という本音のために「基地反対」という建前を主張する,というのが「沖縄の本音と建前」の解説です。しかし,現実には「振興策はいいこと」という行政とマスコミの論調を疑うことなく思考停止し,「振興策をもらい続けるためには基地反対と言い続けなくちゃ」という姿勢を,保守も革新も全員がそれぞれの立場で演じている感じです。(p. 46)
本音だけで話せるようになれば,色々な物事は進んでいきそう。
① 在沖米軍の安定運用が抑止力として重要,② 海兵隊が撤退して抑止力が不足した場合は自衛隊の強化を検討する,③ 自分の国は自分で守る
これらは霞が関の役人にありがちな考え方です。海兵隊の後釜に自衛隊を置くプランは,沖縄の政治家や役人の中にも支持する声があります。(p. 50)
結局,米国の海兵隊が沖縄から撤退したとしても,国防のために日本の自衛隊が沖縄に配置される。
そのロジックが成り立つのであれば,沖縄から基地はなくらない。
沖縄における基地被害は大きく分けると二つあります。① 騒音と事故と兵隊による事件 ② 振興策が生む格差と貧困です。(pp. 91 - 92)
振興策が生む格差と貧困は,次の世代にも続いていくので,根深い問題。
沖縄の経営者は景気が悪くなると,所定内給与に手を付け会社の取り分を守ります。本土で働いたことがある地元の記者は,「沖縄は労働者から搾取する前近代的な資本主義がまかり通っています。優秀な人間だけが公務員になり,役所にも大企業にも入れなかった負け組同士で上下関係が強い労使関係を続けています」と解説してくれました。(p. 93)
沖縄の常識は,日本の非常識なのだろうか。
それは,沖縄では先生は憧れの職業であり,社会をリードする支配階級だからです。このエリートである先生や役所の職員が基地反対運動を担っています。私は,生徒と先生の信頼関係が壊れているとしか思えない,こうした教育現場の貧困を知るたびに,平穏な生活を目指しているはずの基地反対運動の本気度を疑いたくなるのです。(p. 99)
自らの立場を守るための運動なのか。
海兵隊の大規模撤退が実現すれば,民族主義的一体感を支えていた「反基地」の主張は後退します。その時,基地問題に隠れていた貧困問題が表面化するでしょう。それを機に貧困にあえぐ市民のストレスは爆発する可能性はあります。政治的無関心層が一気に本音重視の保守系支配階級の側に流れ,理想論を展開していた官公労とマスコミと学識者は初めて市民の攻撃にさらされる。琉球王国時代から階級社会を守ってきた沖縄が内部分裂した時,初めて民主化の希望が芽生えるでしょう。沖縄の市民は,「反基地」と叫ぶ公務員が自分たちの味方ではないことに気づき始めています。(p. 117)
建前しか語れない人は,退場してほしい。
沖縄県にとって最大の経済的な課題は何よりも「貧困」にあります。が,この問題をさらに掘り下げてみると,① 所得(雇用者報酬または労働分配)が公務員に偏在している,② 所得上の著しい公民格差が存在する,③ 政治的な影響力のある公務員が経済的イニシアティブも握っている,④ 結果として「民」優位ではなく,琉球王朝以来の「公」優位の経済社会が温存されている,といった問題点が浮き彫りになります。失業率や沖縄を悩ます他の経済的・社会的課題の大部分も「公」優位の,言い換えられば「公が支配する社会経済体制」に起因すると考えてよいでしょう。
基地問題だけに目を向けて,公務員によるこのような「支配体制」から目をそむけているようでは,現状は決して改善されません。(p. 138)
全ての人が豊かであれば,他人の足を引っ張ろうなんて思わないだろう。
象徴的なのは,琉球新報と沖縄タイムスが,市場ではライバル同士で激しく部数を争っているにもかかわらず,基地や沖縄戦などのテーマでは,ほとんど見分けがつかない報道姿勢になることです。両紙とも日本政府批判については,ほぼ同様のトーンになるのに,県政批判はほとんどありません。(p. 187)
琉球新報と沖縄タイムスそれぞれ自分の立場を守ることしか考えなかったら,主張は自ずと似たものとなる。