2020年5月7日更新
『官僚を国民のために働かせる法』(古賀 茂明,光文社新書,2011年11月20日発行)を読了。
官僚たちの多くは「国民のために働く」という本分を忘れて,悲しいことに,自らの生活保障のために,省益の拡大ばかりに心を奪われるようになってしまっています。彼らの利権の巣窟となった霞が関は,「国民のための行政府」たる機能を麻痺させています。(p. 10)
官僚に,「国民のために働く」という本分を思い出させることができるのは政治家しかいない。
そういった安定志向が「いまの身分保障を絶対に変えて欲しくない」という思いにつながり,国家公務員制度改革を敵視する勢力を形成している部分も大きいのです。(p. 61)
人間にとって,安定が最も重要である。
それを脅かすものがあるならば,全力で排除しようとするのは当然である。
というのも,官僚はふつう,一,二年で異動になり,自分の関わった政策の成果が出るころには,たいていは別の部署に移っているからです。この頻繁な異動はもともと,責任の所在をあいまいにするために考え出されたシステムで,それが評価をしにくくしているのは当然の帰結と見ることもできます。(p. 70)
電力業界の異動も同じような思想で考えられたシステムだろう。
だから,霞が関的に優秀な官僚というのは,本音と建前が表裏一体になった“きれいな絵”が描ける人であり,その出来具合が評価のポイントにつながるわけです。(p. 82)
本音と建前を使い分けて,“きれいな絵”が描けるようになろう。
先延ばしというのは,決断できないということの裏返しです。アメリカの元国務省東アジア・太平洋局日本部長のケビン・メア氏が『決断できない日本』(文春新書)という本を書かれましたが,まさにその通りですね。(p. 136)
決断するためには,材料がいる。
その材料を集めるのが官僚である。
一方,政治家の仕事は知識を蓄積することではなく,官僚や専門家,有識者からの情報・知識・考え方を踏まえて,大局的に政策を決めることです。極言すれば,知識などなくとも,状況判断力とリーダーシップが発揮されればいい。そこに政治家の優劣を決する要素があるのです。(p. 151)
専門家,有識者になるためには,知識の蓄積が必要である。では,状況判断力とリーダーシップをどのように磨いて,政治家になればよいのだろう。
そこにこそ民主党の誤りがあったような気がします。「日本を変えよう」という意思が,実は「自民党を否定する」ことでしかなかったのです。だから,「政治主導」「脱官僚」そのものが目的化し,そのために「どんな哲学・理論に基づいて,何をどう変えていくか」という最も大事なことが抜け落ちてしまったのではないでしょうか。(p. 160)
現在の民進党も,かつての民主党と本質的に変っていない。
否定することしかできていない。
こんなふうに「どんどん,ストをやってください」とやると,公務員もかつての国鉄がストをやって国民から見放されたような窮地に立たされるでしょう。そのほうが逆に,改革がスムーズに運ぶかもしれません。(p. 204)
公務員制度改革を突きつけ,公務員がどのように反応するか試してみよう。
官僚論になると,最後は「結局,仕組みをどう変えるかよりも,官僚一人ひとりの心構えにかかってるんだよねぇ」となってしまいがちです。
しかし,順番が逆だと思うのです。「官僚は優秀で立派な人物である」という前提で作られた旧来の仕組みを変えるのが先で,それによって官僚一人ひとりの心構え,言い換えれば「公僕」たる自覚を半ば強制的に持たせることが必要なのです。(pp. 230 - 231)
国民のためにならない官僚は辞めさせることができる仕組みに変える。