Masassiah Blog

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新・堕落論 我欲と天罰

2019年12月16日更新

『新・堕落論 我欲と天罰』(石原慎太郎新潮新書)を読了。

 藤原氏は国家の復興のために「祖国への誇りを取り戻し,祖国の育んできた輝かしい価値観を再認識する必要がある」と説きますが,それだけではいかにも抽象に過ぎます。日本という国が国家としての品格を取りもどし,活力を備えなおしていくために,我々は今具体的に何と何をしなくてはならないかを本気で考えなくてはならない。(p. 32)

日本が日本であることを思い出すため,私は,まず近現代史を学びなおそう。

トインビーはその著書『歴史の研究』の中で歴史の原理について明快に述べています。

「いかなる大国も必ず衰退するし,滅亡もする。その要因はさまざまあるが,それに気づくことですみやかに対処すれば,多くの要因は克服され得る。しかしもっとも厄介な,滅亡に繋がりかねぬ衰微の要因は,自らに関わる重要な事項について自らが決定出来ぬようになることだ」と。(p. 51)

滅亡は必然。
しかし,兆候を早めに捉えて対処していけば延命は可能か。

その象徴的な証左は広島の原爆死没者慰霊碑に記された「過ちは繰返しませぬから」という自虐的な文言です。これでは主語は我々日本人ということになる。過ちを犯したのは,彼らアメリカ人ではないか。(p. 66)

中学生の修学旅行で広島に行った際に,そんな見解は教えてくれなかった。
冷静に考えると,その通りで,なぜ原爆を落とされたわが国が,「過ちは繰返しませぬから」という必要があるのだろうか。

現実に我々が我が事として考え討論すべき問題を決めるのはまず実質的統治者であるアメリカであって,我々ではありえない。ことの結論を決めるのは,決め得るのは,我々ではなしに日本を囲い者として収奪しているアメリカという旦那でしかない。こんな危ない,馬鹿な話があるものか。(pp. 75 - 76)

国家の存亡がかかる事案に対しても,他力本願となるようでは,国家としての体をなしていない。
一人前の大人であれば,自分の身は自分で守るしかない。

しかし現実に国家の利益を左右する交渉の背景に,実は,今では使われる可能性がほとんどない核兵器保有が巧妙に使われている皮肉な実態への不認識。あるいは地球の温暖化が進み人類の存在そのものが危機にさらされている今なのに,今回の東日本の大震災で福島の原発が破綻すると,すぐに原発廃絶という声が高らかに起こってくるヒステリックな現状。そして政治はすぐにそれに媚びて,太陽エネルギーなどへの大転換を謳い上げてみせるが,もう少し腰を据えて我々を取り囲む状況の実態を見据えたらいい。(p. 98)

核は恐ろしいものであるが,見ないふりしてはいけない。
核兵器が抑止力となり,外交が展開されているのであれば,わが国も核兵器を持つ準備,覚悟があることを示すべき。
その一つのツールが核燃料サイクルであると言ってもよいのではないか。

かつて日露戦争での日本海海戦で日本にパーフェクトな勝利をもたらした天才参謀の秋山真之が言ったように理想の戦いとして「戦わずして勝つ」ためにこそ核を含めて,強力な軍事力の保有は不可欠の世界となっているのです。(p. 101)

もし日本が核を保有していたとすれば,現在の中国や韓国の態度はありえないだろう。
自衛のためにも核の保有は一つの選択肢ではないか。

そして今日の日本を危ういものにしたてたある種の観念とは,「平和愛仰」です。誰しも平和,安泰を望まぬ者はいまいが,平和というものはただ願っただけで得られるものでは決してない。そのための代償が必ず要るのだ。それは侵略に備える軍備であり,ある場合には戦争ともなる。(p. 102)

平和を願うだけで,それが叶えられるのならば一番良いかもしれない。
だが,それは非現実的というほかない。
責任ある国家としては,平和が侵されたときに備えた軍備を準備しておくことは責務ではないか。

それはこの日本は先進国の中で唯一,国家の会計制度が単式簿記でいるからです。どこの国も発生主義の複式簿記でやっているのに日本だけは昔ながらの単式簿記でいる。(p. 113)

借金が多い日本こそ複式簿記で,自国の財政状況を把握すべきではないか。
実は,複式簿記にできないほど,財政状況は絶望的なのだろうか。

コンラッドローレンツはその動物行動学論の中で「幼い時期に肉体的苦痛を味わうことの無かった人間は長じて必ず不幸な人間になる」といっています。(p. 119)

頬を叩かれたこと,頭を叩かれたこと,幸せな人間になるためのプロセスだったのか。

四十年前奇矯な自殺劇でこの世を去った三島氏ではあったが,彼がその晩年口にしていた予言が今不気味な余韻で蘇るのを感じぬ訳にはいきません。
曰くに,「愚かな野党党首を暗殺して自らも自裁した山口二矢は神だ」,「健全なテロルの無い社会に,健全な民主主義など育ち得ない」,「恐ろしいものが無くなった社会ほど恐ろしいものはない」と。(pp. 122 - 123)

三島氏の健全なテロルの無い社会,恐ろしい無くなった社会,これは今日の日本を言い当てている。
テロルを企て,恐怖を日本にもたらすことも辞さない。

だがなお,今この国には命がけでことを誅する壮士はどこにもいないし,政権を賭してことを行う政治家も政府もありはしない。ならば我々国民の一人一人がまず人間として我々の今おかれて在る状況を本気で見直し,その克服のための手立てを民族の声として立ち上げる以外にありはしません。(p. 125)

一人一人が今の危機を認識しなければならない。
目先のことだけでなく,国家百年を見据えた考え方をしたい。

毛沢東はその簡潔で優れた方法論『矛盾論』の中で,目の前の矛盾,厄介事を解決しようとしたら,それそのものよりもその後ろに在るもっと大きな原因に気づいて手をつけなければ本当の解決には至らない。目の前の矛盾はただの従属矛盾であり,その背景に在る主要矛盾を解決しなくてはならないと説いています。(p. 136)

目の前の矛盾,厄介事の背景には何があるか,考える癖をつける。

前述のように,同じ敗戦国のドイツは,戦後の復興の過程で,新しい憲法と新しい教育の指針は絶対に勝者たる外国にはまかせず,自分自身で決めると言い張り通しました。当たり前のことだが,その当たり前のことをこの日本は出来ずに全て占領者のいいなりになってしまった。その結果が今の体たらくだ。(p. 143)

憲法と教育,これは自分たちで決めなければならなかったことである。
日本として,憲法と教育は完全に新しいものにしなければ,戦後を終えることができていないのではなかろうか。

だからいかに重要なものだろうとも必ず一枚の紙にまとめてくるように命じ,それが出来ないなら当人の能力の限界と理解するといい渡した結果,会議の能率は極めて向上しました。(p. 162)

要点をまとめることは大事。
特に会議では論点とすべきところが明確でなければ,議論が発散してしまう。

大都市の高層化した集合住宅は決して新しい村とはいえず,夜這いを含めて良事悪事をともに併せ行った青年団は消滅してしまい,大人への自然な成長過程が欠落してしまいました。(pp. 195 - 196)

さすがに夜這いはしていないが,大人への自然な成長を青年団を通して実現できたことは幸せなことであったのか。

それ以前の兆候として,従来一番多かった分裂病に代わってこの頃は鬱病が圧倒的に増えたそうです。つまり軽く病む人間が急に増えてきたということです。
その根底には,過大な情報によって頭ばかりが肥大化していくことで逆に個性を失い画一化されていく,いい換えれば自己を喪失していく人間たちの焦りと恐怖があるのでしょう。(p. 202)

頭を肥大化させたとしても,自己は見失わない。

新・堕落論―我欲と天罰 (新潮新書)

新・堕落論―我欲と天罰 (新潮新書)

  • 作者:石原 慎太郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/07/01
  • メディア: 単行本