2020年10月2日作成
『「学歴エリート」は暴走する』(安冨 歩,講談社+α新書,2013年6月20日発行)を読了。
「東大話法」とは,かいつまんで言いますと,わざと物事をややこしく,論点を難しくして問題をうやむやにし,状況を自分に有利なほうに誘導しつつ,相手を煙にまいて自らの責任を回避する話術です。(p. 9)
知らず知らず,「東大話法」を使っている気がする。
責任を取りたくない心理がそれをさせているのだろうか。
東大話法規則 (pp. 14-15)
- 自分の信念ではなく,相手の立場に合わせた思考を採用する
- 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する
- 都合の悪いことは無視し,都合のよいことだけ返事する
- 都合のよいことがない場合には,関係のない話をしてお茶を濁す
- どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す
- 自分の問題を隠すために,同様の問題を持つ人を,力いっぱい批判する
- その場で自分が立派な人だと思われることを言う
- 自分を傍観者と見なし,発言者を分類してレッテル貼りし,実体化して属性を勝手に設定し,解説をする
- 「誤解を恐れずに言えば」と言って,ウソをつく
- スケープゴートを侮辱することで,読者や聞き手を恫喝し,迎合的な態度をとらせる
- 相手の知識が自分より低いと見たら,なりふり構わず,自信満々で難しそうな概念をもちだす
- 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する
- 自分の立場に沿って,都合のよい話を集める
- 羊頭狗肉
- わけのわからない見せかけの自己批判によって,誠実さを演出す
- わけのわからない理屈を使って相手をケムにまき,自分の主張を正当化する
- ああでもない,こうでもない,と自分がいろいろ知っていることを並べて,賢いところを見せる
- ああでもない,こうでもない,と引っ張っておいて,自分の言いたいところへ突然落とす
- 全体のバランスを考えて発言する
- 「もし○○○であるとしたら,お詫びします」と言って,謝罪したフリで切り抜ける
規則の横並びにバラツキがあると思う。「14. 羊頭狗肉」が規則なのか。
高度の記号操作能力に加えて,極度のバランス感覚を要求されるのが東大型
高度の記号操作能力に加えて,バランス感覚の欠如を要求するのが京大型 (p. 35)
私の身の回りにいる東大卒の人の中で,バランス感覚に優れているような人はいない。
立場三原則 (p. 74)
- 役を果たすためには何でもやらなくてはいけない。
- 立場を守るためには何をしてもいい。
- 人の立場を脅かしてはならない。
自分ではなく,立場が行動原理となる。
福島第一原発事故における東京電力の対応を見てもわかるように,日本企業の多くはなにか不祥事が発生した際も,その要因となったことがらを誰が決定して,誰が悪いのかということが非常に曖昧にされており,とりあえずトップが儀礼的に謝罪をおこない,そのトップのクビをすげ替えて“禊”とします。(p. 80)
意思決定プロセスが不明確なのか。
実のところ資本主義の基本はこれなのです。お金をかき集めて流す「金融資本主義」が幅を利かせます。それから情報を集めて制約して流す「情報通信資本主義」,部品を集めて組み立てて消費者に流す「産業資本主義」,商品の流れを支配する「流通資本主義」,人々の移動を支配する「交通資本主義」。これらはガッチリと相互依存しつつ,政府に寄りかかり,巨大な関所郡を創りだして「通行料」を掠めとっているのです。これが「国家資本主義」です。現在の日本は,旧ソ連に並ぶ,国家資本主義の最悪の一例と言ってよいでしょう。(p. 173)
規制が多すぎて,国家資本主義に陥っている。
税金を極力安くして,社会保障を減らし,スリムな国家にするのがよい。
なんだかややこしい話で恐縮ですが,わかりやすく言うと,「あやしいと思う立場から考える」というスタイルでは新しい知識を獲得することができず,どこへも動くこともできず,真理を求める他人を嘲る姿勢にしか結びつかない,ということなのです。(p. 183)
立場で物事を捉えるのではなく,自分で物事を捉える。
「commitment」とは「自分」というものすらも忘れて,すべてを「信じる」ことそのものに投げ出してしまうという概念です。この投げ出すところに真の意味での責任が生じます。ところが,日本では「自分」などというものはすでに「立場」へと明け渡されています。そもそも投げ出すものがないのです。(p. 187)
すでに自分を立場に明け渡しているのに,さらに commitment を求めるのは,奴隷であることを言わせたいのか。