2020年2月23日更新
『電力と国家』(佐高 信*1 著,集英社新書,2011 年 10 月 19 日 第 1 刷)を読了。
「国家を電力に介入させず」(p. 24)
官と民の良いところを併せ持つ,それとも悪いところを併せ持つのが電力会社か。
「国有化されれば,自由な企業家精神は死ぬ」(p. 40)
自由な企業家精神が,今日の電力系統を形作ってきた。その自由な企業家精神は,今も残っているか。
自由主義経済化にある電力事業の欠陥(奥村 喜和男)(p. 46)
- 水力資源の合理的開発困難なること
- 料金を低廉ならしめ且つ有効適切なる料金政策を実行し難きこと
- 電力設備,電力事業,その他経営方面に対して徹底的統制監督を行ふの困難なること
- 国防目的の達成に支障あること
- 農村政策の実行困難なること
多少は当てはまることがあるかもしれないが,電力事業が国営であったとしても,全てを解決できるだろうか。
世論を味方につけているときのジャーナリズムというのは,正義を気取り,それこそ鬼の首を取ったような品のない攻撃をするものだ。(p. 127)
品のない攻撃が生み出すものは,一体何か。
「私たちが,原子力の開発に確信が持てるのは,それは現在,原子力に対する強い反対と批判が存在するためです。あるいは,奇異に受け取られるかもしれませんが,この原子力に向けられている批判,非難,反対こそが,私たちの努力の,いわば道標になっているといえます」(p. 141)
1973 年,橋本 清之助 氏の言葉。今でも,原子力の開発に確信が持てるだろうか。
「最近は革命という言葉が非常に安易に使われるようになりましたね。革命を嫌っている社会が革命という言葉を使う」(平岩 外四)(p. 158)
革命は困難だとしても,変革し続けていかなければ,組織は腐敗する。