2020年1月28日更新
『続・悩む力』(姜尚中,集英社新書,2012年6月20日発行)を読了。
また,漱石が遊学先の「一等国」イギリスに日本の末路を垣間見たように,ウェーバーも新大陸アメリカに近代の資本主義の行く末,その「終わり」を見出していました。(p. 29)
現代は,漱石が垣間見た日本の末路なのではないか。
末人たち:精神のない専門人,心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は,人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた,と自惚れるだろう(『プロ倫』フリードリヒ・ニーチェ)(pp. 30 - 31)
末人的な発想をしてはいないか。
漱石の主人公たちはみな,自意識の牢獄のなかに閉じ込められています。自分自身が迷宮のようになって,そのなかでさまよっているのです。ものをよく考える知識人ほどそうなってしまうという悲喜劇も,そこにはあります。(p. 49)
ものを考えすぎてはいけない。
自意識の牢獄の中に閉じ込められてしまう。
「ホモ・パティエンス」(悩む人)は,「ホモ・サポエンス」(賢い人)をもじった言葉ですが,この言葉には,生きている限り悩まずにおれない人のほうが,人間性の位階においてより高い,という意味がこめられています。(p. 55)
悩む人のほうが位階においてより高い。
それは,本当か。
「現代ノ青年ニ理想ナシ。過去ニ理想ナク,現在ニ理想ナシ」
「四十年ノ今日迄ニ模範トナルベキ者ハ一人モナシ」(『三四郎』夏目漱石)(pp. 68 - 69)
同じことを思ってはいないか。
「ホンモノの自分を探せ」
これが,時には強迫観念になり,人を追い込んでいることが結構あるのではないかと思うからです。その価値観に照らして,「これは本当の自分ではない」「もっと輝くホンモノの自分があるはずだ」と,七転八倒している人たちがいるのだとしたら,ホンモノ探しの功罪について考えざるをえません。(pp. 98 - 99)
輝かない自分もホンモノの自分なのでは。