地下鉄工事という大型の公共工事の入札を行うゼネコンが行う「談合」が軸として展開していく。
建前ではなく,本音の世界。
生き馬の目を抜く世界。
「談合」とはそんな表現がぴったりの世界だと感じました。
さて,主人公である富島平太(以下,「鉄の骨」内の登場人物の多くからも呼ばれている平太で表記する)は,そんな「談合」の世界に飛び込んでいく。純粋で素朴という表現がぴったりの平太は最初,「談合」は悪に過ぎないと感じつつも,談合課と揶揄される業務課の同僚たちとのやり取りの中で,次第に単なる悪ではなく,必要悪であるというイメージを持つようになる。そのことで次第に平太の彼女との距離は開いていく。
まさに帯にもあるとおりの
会社がヤバい。彼女とヤバい。
という展開になっていき,ページを捲る手が止まらなくなってしまいました。
現実の世界について,私の主観的なイメージでは,脱談合を掲げることにより,競争に勝ち残れない業者は淘汰されていますが,その反動として,景気がよくなり工事を増やそうとしても,なかなか業者が決まらない。工事を行える業者が少なくなる分,発注者と受注者の立場は逆転していきつつあるような印象を最近抱いています。
果たしてあるべき姿とは。「談合」の世界がいいのか,それとも純粋な「競争」の世界がいいでしょうか。
「和を以て貴しとなす」国である日本だけの目線で考えた場合,実は「談合」の世界がいいのではないか。しかし,今は国際社会。「談合」だけでは世界に太刀打ちできないという現実もあります。
最も現実的な考え方をすると,清濁を併せ呑みながら,濁を減らしていくしかないのでしょうね。非常に難しいテーマだと思います。