Masassiah Blog

現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

御子柴弁護士シリーズ2 追憶の夜想曲

『追憶の夜想曲』(中山七里,講談社文庫)を読了。

この世には三つだけ嘘を吐いても良いとされる職業がある。日銀総裁と物書きと,そして弁護士だ。(19 ページ)

嘘を吐く職業は,三つ以外にもあると思う。

一般人と罪びとを隔てているのはたかが数ミリの板でしかない。何と脆弱な境界線であることか。これは現実に罪びととそれ以外の人間にさほどの距離がないことの寓意なのか。(43 ページ)

数ミリの板なんて,簡単に突き破ってしまいそうだ。

そして御子柴自身はこの国の人間をそれほど理性的だとは思っていない。それがいいか悪いかではなく資質の問題であり,熱しやすく冷めやすい国民性は論理性が支配する近代裁判よりはリンチの方が向いている。(88 ページ)

熱しやすく冷めやすい国民性は,2022 年,サッカーのワールドカップにおいても感じることができた。

「ときに御子柴先生は贅沢をどう思われますか」
「さあ。胃袋みたいなものですか」
「胃袋?」
「人によって中に収まる量は限られている。食い過ぎれば当然腹を壊す」(98 ページ)

身の丈に合った贅沢をしよう。

いったい人間というものは組織の中で自分を見誤ることが多い。組織の肩書で相手が頭を下げるのを,自分の人間力のせいだと勘違いする。(99 ページ)

私が組織から去ったとき,どれほどの人間がまわりにいるか。

裁判員制度が法廷に取り入れたのは市民感覚ではなく,市民感情だ。凶悪犯罪への抑止力ではなく報復手段として厳罰化が進んでいる。(139 ページ)

市民感情で物事を決めてほしくない。

信じる者は救われるか――御子柴は苦笑しながら納得する。何かを信じる力は人を盲目にする。逆に猜疑心は人の感覚を鋭敏にする。世界の実相は知れば知るほど過酷なものだ。だから,幸福になりたければ我を信じよという宗教のお題目はある意味正鵠を射ている。(152 ページ)

何かを信じることで,世界の実相から離れさせる。

おそらくその程度の資料で事足りると考えたのだろう。自分が他人よりも賢いと思い込んでいる愚者の典型的な装備だ。経験と慎重さを厭い,勘と度胸で機先を制することが勝利への道だと嘯く。地道な研究や地を這うような努力を敗者の道と嘲笑する。そして結局はその資料代すら回収することができない。(156 ページ)

愚者の典型にならないよう,地道な研究や地を這うような努力を続けよう。

自由は孤独なのだと知った。
束縛は保護の別名なのだと知った。(184 ページ)

自由であるが,孤独であるというのは,非常に実感できる。