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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

バカと無知 人間,この不都合な生きもの

『バカと無知 人間,この不都合な生きもの』(橘玲,新潮社,2022年10月15日)を読了。

ぎすぎすした世の中に煩わされず,他者に「不道徳」のレッテルを貼って安易に批判せず,イヤなことがあっても「そのうちいいこともあるさ」と楽天的に考える。すくなくとも研究では,これであなたの幸福度はずいぶん高くなるらしい。(p. 25)

「そのうちいいこともあるさ」と楽天的に考えるだけで,幸福度が高くなるというのはお得である。

ここでいう「リベラル」とは「この世に生を受けた以上,自分の人生は自分で決めたい」「自分らしく生きたい」という価値観のことで,1960 年代末のアメリカ西海岸で生まれ(ヒッピームーヴメント),エピデミックのようにまたたく間に地球上を覆い尽くした。これはキリスト教イスラームの成立に匹敵する人類史的な事件だが,わたしたちはいまだにそれを正しく認識できていない。(p. 27)

リベラルという価値観は,私も共感できる。

「バカの問題は,自分がバカであることに気づいていないことだ」

自分の能力についての客観的な事実を提示されても,バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか,ますます自分の能力に自信をもつようになる。まさに「バカにつける薬はない」のだ。(p. 36)

「バカにつける薬はない」と悟り,バカとは距離を置く。

ハリネズミのように自分を大きく見せるのも,能ある鷹が爪を隠すのも,生き延びるために脳に埋め込まれた戦略なのかもしれない。(p. 41)

能力を正しく見せようとしないのは,長い時間をかけて練り上げられた戦略なのか。

賢い者がバカの過大評価に引きずられることを「平均効果」という。実験では,一方が他方の能力の 40 % を下回ると,話し合いの結果は優秀な個人の選択よりも悪くなった。

これがなにを意味しているかを考えると,次の二つの結論に至る。ただし,いずれもかなり不穏な話だ。

一つは,集合知を実現するには,一定以上の能力をもつ者だけで話し合うこと。これなら欠けた知識を持ち寄って,それを一つにまとめることで,個人の判断より正しい選択をすることができる。

もう一つは,それが無理な場合は話し合いをあきらめて,優秀な個人の判断に従った方がよい選択ができること。これはある種の貴族政だ。

"不穏" というのは,いずれの場合も,能力の劣った者を決定の場から排除する必要があるからだ。――これは私見で,研究者がこのような主張をしているわけではない。(p. 45)

能力のある者に決定を委ねる選択をできるようにすればよいのか。

創業者のワンマン経営で会社が急成長するのは,日本だけでなく,アップルやアマゾン,テスラを見てもわかるように世界的な現象だ。だとすればこれは,文化のちがいではなく,ヒトの本性だと考えるほかはない。

ワンマン企業が成功する(可能性がある)のは,「独裁者」の意思決定によって「バカに引きずられる」効果を避けられるからなのかもしれない。(p. 51)

話し合って決めるというのは,バカに引きずられることを受け入れることに他ならない。

集団ですぐれた意思決定をするための条件は,人種,民族,国籍,宗教,性別,性的指向などが異なるメンバーを集める多様性と,その全員が一定以上の能力をもっていることだ。このふたつの条件を満たすと,多様な意見が「化学反応」を起こし,とてつもないイノベーションが生まれる可能性がある。(p. 63)

多様性だけではなく,その全員が一定以上の能力を持っていることが,すぐれた意思決定の条件。

正しい投票のためには,自分がどのような政治を望んでいて,それに対して現状がどれほどかけ離れていて(あるいはうまくいっていて),各候補者が掲げる政策がどのような影響を与えるのかを知る必要がある。「価値はほぼゼロ」なのに,こんな面倒なことをするひとがいるだろうか(すくなくとも私はやらない)。(p. 70)

わざわざ投票場に行って,投票したとしても,私の一票はほとんど無価値だと思うと,投票するのは馬鹿らしい。

リベラルな社会では出自による差別は許されないので,もはや誰も「穢れた血が子どもに引き継がれる」などとはいわない。しかしその一方で,万世一系の神話では,「高貴な血は子々孫々まで受け継がれる」ことになっている。これは明らかに矛盾しているが,このなんともご都合主義的な解釈を否定すると天皇制が維持できなくなってしまう。(p. 150)

穢れた血は引き継がれないのに,高貴な血は引き継がれる。明らかな矛盾は,なるほどと思ってしまう。

洋の東西を問わず,富裕層は,道徳とか倫理とかにはなんの関心もなく,もっともコスパが高い手段を選択するのだろうか。これは経済学がいう「合理的経済人」そのもので,冷酷にリスクとリターンを計算する者が金持ちになるのだ――。(p. 166)

リスクとリターンを計算することを習慣づければ,富裕層に近づける。

「どのような性犯罪も見逃してはならない」とするならば,すべての証言を「事実」として扱うべきだ。それに対して「冤罪は一件たりとも起こしてはならない」とするならば,被害者や目撃者の記憶を犯行の証拠とすることは許されない。このようにして,2 つの「正義」が真っ向から衝突してしまうのだ。(p. 223)

現状,どれだけ正確に犯罪を裁けているのか興味がある。