2020年9月18日
『ものの見方が変わる 座右の寓話』(戸田 智弘)を読了。
意識とは唯一のものではなく,物事を見る態度や立場の数だけ存在するのだ。(位置 No. 173)
人それぞれ意識が違うのは,仕方のないこと。
「だいたい哲学の効用とは,誰の目にも見えるようなものではない。……そもそも国に哲学がないとは,床の間に掛軸がないようなもので,その国の品位をおとすものだ。……哲学なき国民は何ごとをなすにも深みに欠け,浅薄にならざるを得ないのである」(中江 兆民『一年有半』,位置 No. 282)
日本に哲学はあるか。
新規事業は,既存の論理や過去の経験が当てはまらないような領域に眠っている。これまでの常識を外れたところにあって,前例がないからこそ,新規なのである。(位置 No. 377)
既存の論理や過去の経験にしがみつかない。
つまり,これからのエリートには,理性だけでなく美意識や感性が求められるということだ。さて,その根拠は?
一つ目は,多くの人が分析的・論理的な情報処理のスキルを身につけた結果,正解のコモディティ化が発生しているからだ。(中略)
二つ目は,今日のような複雑で不安定な世界でいたずらに論理的かつ理性的であろうとするのには限界があるからだ。(中略)
三つ目は,地球規模で経済成長が進展しつつある中,世界が巨大な「自己実現欲求の市場」になりつつあるからだ。
四つ目は,社会の変化に法律の整備が追いつかないからだ。(位置 No. 390)
美意識や感性を磨いていく。
何を選び,何を避けるかの最終決定者は,他ならぬ自分だ。選ぶことは責任を負うことだ。(位置 No. 481)
選ぶことに責任を持つ。
多くの人は,小さな名利(名誉や利益)にとらわれ,大きな尊いものを失っている。(位置 No. 501)
大きな尊いものに向かって進んでいく。
ほとんどの仕事は代替可能な仕事である。とくにアルバイトなどはそういう面が強い。しかし,そこに自分のできる範囲で気配りや機知を加えれば,それは自分の仕事―自分だからこそできる仕事― に化ける。(位置 No. 649)
仕事に自分らしさを加えて,自分の仕事としていく。
「使える」と言われた新人はみな子どもの頃に親の手伝いをした経験があり,「使えない」と言われた新人はしたことがない(位置 No. 701)
「使える」「使えない」新人に聞き取りをしてみよう。
「他の人はともかくとして,自分一人でもやる」。そういう気持ちが誰かから出てきたときにこそ,現場は動きはじめる。(位置 No. 860)
「自分一人でもやる」くらいの気持ちで,取り組んでいく。
無気力感が蔓延している組織に活を入れるには,その組織に異質な人材を入れることだ。(位置 No. 883)
組織に活を入れることができる異質な人材になる。
人間一人の力は決して無力ではない,微力なだけである。無力はどれだけ足し合わせても,掛け合わせても,その力はゼロのままである。それに対して,微力を足し合わせたり,掛け合わせたりすれば,大きな力になりうる。(位置 No. 1223)
微力を組み合わせて,大きなうねりを作りだす。
「トルストイのテーゼは徹底的に『反科学』です。科学はわれわれがなにをすべきかについてなにも教えてくれないし,教えてくれないばかりか,人間の行為がもともと持っていた大切な意味をどんどん奪っていくと考えました」 (姜尚中『悩む力』,位置 No. 1496)
人間の行為まで,分解していくと何が残るだろうか。
多くの企業がさまざまな形でイノベーションや新規事業に取り組んでいる。新しいことを生み出すのは,既知の知と既存の知を新たに組み合わせることだ。しかし,自分の知の量が枯渇すれば,既存の知の組み合わせは尽きてしまう。それを克服するには,自分から遠く離れた知を広く深く探求し,それによって得られた知と既存の知を組み合わせる必要がある。そのためには学ばねばならない。(位置 No. 1850)
遠く離れた知に触れることから始めていく。
自分は消えても『他人』はある。その『他人』につなげていくことが自分の人生だ(位置 No. 2341)
自分が消えたとき『他人』は,どのようにふるまうだろうか。
失ったものを数えるな。残っているものを数えよ。そして,残っているものがあることに感謝し,それを最大限に活かそう。これは真実である。(位置 No. 2494)
失ったものを数えず,残っているものを数える。