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絶歌 神戸連続児童殺傷事件 元少年A

 2020年2月8日更新

太田出版『絶歌』(元少年A著,2015年6月28日初版)を2019年11月30日読了。

誰にも立ち入られることのない,自分だけの聖域。この世界のどこにも属することができない自分の,たったひとつの居場所。その聖域が侵されたことに,聖域が侵されているのに何もできない無力な自分に,どうしようもないやるせなさを感じた。(p. 24)

 自分だけの聖域は,誰もが持っている。
それが侵されたとき,どんな対応をするか。

僕は祖母の位牌の前で,祖母の遺影に見つめられながら,祖母の愛用した遺品で,祖母のことを想いながら,精通を経験した。

僕のなかで,“性”と“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと接合した瞬間だった。(pp. 48 - 49)

自分には想像できないような,異様な経験。

生きているということは,痛みを感じるということ。
痛みを与えるということは,命に触れるということ。
命に触れること。
死を手懐けること。
あの頃の僕にとってそれに勝るエクスタシーはなかった。(p. 64)

「死を手懐ける」という感覚は,よくわからない。

淳君の頭部を,祖母の畑に埋めるのをやめ,自分の通う中学校の正門に晒す。それは,考えうる限りいちばん“間違った”答えのように思えた。いちばん間違っているからこそ,この時の僕にとっては,それが“大正解”だった。(p. 94)

いちばん間違った答えを求めるときもある。

僕は知っていた。カメラレンズを絞るように,眼を窄め,視界を制限することで,事物の解像度が増すことを。「井の中の蛙大海を知らず,されど空の高さを知る」とはこのことだろうか。(p. 132)

 大海を知らなくても,空の高さを知ることはできる。

糸を切れば自由になれるか?糸で地上に繋がれているからこそ空を飛べるのであって,その糸を切ってしまうと落ちるしかない。自由とはそういうものだ,と。“神様”の至言だ。(p. 226

 できるだけ,長い糸であれば自由に近づけるか。

自分は人間の皮を被って社会に紛れ込んだ人殺しのケダモノだ。いくら表面的に普通に暮らしても,他の人たちと同じ場所では生きられない。その変えようのない現実を強烈に意識し始め,僕はどんどんどんどん自分の中に追い詰められていった。もう自分を保てない。このままここに居ては壊れる。そう直感した。(p. 277)

「自分を保てなくなる」という感覚とはどんなものか。

居場所を求めて彷徨い続けた。どこへ行っても僕はストレンジャーだった。長い彷徨の果てに僕が最後に辿り着いた居場所,自分が自分でいられる安息の地は,自分の中にしかなかった。自分を掻っ捌き,自分の内側に,自分の居場所を,自分の言葉で築き上げる以外に,もう僕には生きる術がなかった。(p. 281)

 安息の地を自分の中で見つけたのだとしたら,それはそれでよかったのかもしれない。

絶歌

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