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ルポ 誰が国語力を殺すのか

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」(石井光太文藝春秋,2022年7月20日)を読了。

今の子は知識の暗記や正論を述べることだけにとらわれて,そこから自分の言葉で考える,想像する,表現するといったことが苦手なので,国語に限らず,他の教科から日常生活までいろんな誤解が生じ,生きづらさが生まれたり,トラブルになったりしてしまうのです。言ってしまえば,子供たちの中で言葉が失われている状態なのです。(位置 No. 194)

自分の言葉で考える,想像する,表現することができなければ,生きづらいことは想像できる。

「国語力」とは何なのだろう。文科省の定義によれば,国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力としている。(位置 No. 250)

小学校,中学校,高校では,国語が苦手だった。振り返ってみると,感じる力が足りなかったからだろうか。

学校の教員によれば,教室内でつくられるグループは不思議と子供が持つ国語力によって決まることも多いという。言葉を持っていない子供たちは同じような者同士で集まって粗雑な言葉でやりとりする傾向が強く,一方で言葉を持っている子供たちは豊富な語彙をつみ重ねて複雑なコミュニケーションをとることができる。(位置 No. 342)

社会においても,国語力の差でコミュニティが分かれているような気がする。

文科省も,学校も,親も,みんな結局は成果主義なんですよ。すぐに形として表れる結果ばかりを追い求めつづけている。だから,もっともっとという具合に新しいことをやろうとする。

国語力を育てることって成果主義とは真逆で,目に見えないものなんです。一つの詩を丹念に読み込んで感動の涙を流しても,テストの点数に結びつかないし,資格を取得できるわけでもない。でも,そうやって内面で育ててきたものがあるからこそ,何十年か先に誰も想像しなかったような素晴らしい人間性を持てるようになるんです。(位置 No. 1454)

成果主義は,世の常か。目に見えないものも成果として捉えられるようにしなければ,不幸な人が出てきてしまう。

大学に身を置いていたリップマン*1は危機感を抱き,哲学を利用した思想教育を広める必要があると感じた。そこで考案したのが,子供のための哲学だったのである。これは独善的な自己主張とは対極にあるもので,一つの場で他者とともに語り合うことで,テーマを深く探求する力を身につけさせる,後の哲学対話の原型となる教育法だった。これによって若いうちにしなやかな思考力,対話力をつけさせようとしたのである。(位置 No. 3880)

哲学対話により,思考力,対話力をつけさえる。ぜひ,これは試してみたい。

*1:アメリカの哲学者マシュー・リップマン