AI の進化は著しいことを知りながら,2016年に書かれた『人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊』(井上智洋,文藝春秋,2016年7月20日)を2023年に読了。
コーエン*1は「容易に収穫できる果実は食べ尽くされた」という言葉でイノベーションの枯渇などを原因とした経済成長の行き詰まりを表現しています。(p. 111)
経済成長が行き詰まっているのは,仕方がないのか。
今後イノベーションは枯渇するのか,活発化するのか。そのような問題を論じるにあたって,「汎用目的技術」(General Purpose Technology, GPT*2)という概念が鍵になると思われます。GPT は,補完的な発明を連鎖的に生じさせるとともに,あらゆる産業に影響を及ぼす技術で,蒸気機関がその代表的な例です。(pp. 111 - 112)
汎用目的に対応できる技術の開発は,難しいと思われる。
富裕層の消費は現在既に飽和しているかもしれません。しかし貧困層の消費は飽和しておらず,彼らはお金が余計に得られたらそれに応じて消費を増やします。消費が飽和しているから金融緩和政策は効果がないなどと唱えている経済学者は,恐らくそういった貧しい人々が目に入っていないのでしょう。(p. 144)
貧困層を減らして,消費を押し上げる。
それでも人間はそんな汎用 AI・ロボットには負けない幾つかの領域を持つものと思われます。生命の壁が存在するならば,
- クリエイティヴィティ系(Creativity,創造性)
- マネージメント系(Management,経営・管理)
- ホスピタリティ系(Hospitality,もてなし)
といった三つの分野の仕事はなくならないだろうと私は考えます。(pp. 160 - 161)
私の仕事は,創造性,経営・管理へシフトしていく。
資本主義に覆われたこの世界に生きる人々は,有用性にとりつかれ,役に立つことばかりを重宝し過ぎる傾向にあります。将来に備えて資格のための勉強をすることは言うまでもなく有用です。
ところが,その勉強は未来の利益のために現在を犠牲にする営みであるとも言えます。現在という時が未来に「隷従」させられているのです。有用な営みに覆われた人生は奴隷的だとバタイユ*3は考えました。
私の人生も奴隷的かもしれない。
バタイユは「有用性」に「至高性」を対置させました。「至高性」は,役に立つと否に関わらず価値のあるものごとを意味します。「至高の瞬間」とは未来に隷属することない,それ自体が満ち足りた気持ちを抱かせるような瞬間です。
至高の瞬間は,労働者が一日の仕事の後に飲むいっぱいのワインによって与えられることもあれば,「春の朝,貧相な街の通りの光景を不思議に一変させる太陽の燦然たる輝き」によってもたらされることもあります。(p. 237)
有用性だけを求めるのではなく,至高の瞬間を大切にしていこう。