Masassiah Blog

現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

偶然とは何か――その積極的意味 竹内 啓

2020年5月24日

『偶然とは何か――その積極的意味』(竹内 啓,岩波新書,2010年9月17日発行)を読了。

 最近の数学的理論の中では「偶然」は「不確実性」ということばで置き換えられ,それにともなう損失は「リスク」と呼ばれる。そうして確率論を中心とする数学理論によってそれを処理する「リスク・マネジメント」の方法が考えられている。それによって人は「運」,「不運」というようなわけのわからないものに左右されることなく,「偶然」に合理的に対処することができると教えられたかもしれない。(p. ii)

「リスク・マネジメント」という言葉はあるが,確率論で論じられているのだろうか。
確率で議論できる人を,あまり見たことがない。

 イデアの世界は光り輝く理念の世界であるか,それは必然性のみからなる世界であろう。それに対して現実の世界は薄暗い影の世界であり,そこでは偶然性が必然性を歪めているであろう。偶然性のイデアなどというものは考えられないと思われるから,偶然性は否定的なものとしてしか考えられないであろう。(p. 21)

偶然性があるこの世界は,当然イデアの世界ではない。

 ニュートンの宇宙では,すべては厳密に数学的に記述される基本法則によって,無限の過去から無限の未来まで決定されており,それには「偶然」のようなものが入る余地はまったくない。すべては必然である。(p. 23)

全ては必然であると考えられていたが,なぜ世界が始まったのかがわからない。

実は,際限なく賭けを続ければ,確率 1 でいつか所持金額が 0 になることが証明されている。これが「賭けを続ける人は必ず破産する(gambler's ruin)」という現象である。(p. 57)

勝ち続けることは不可能ということ。
つまり,際限ない賭けは絶対にやらない。

 現在では,統計学上の regression という用語は「回帰」と訳される。そしてこの訳語にも含まれている「もとにもどる」という意味は,まったく失われている。ゴールトンのもともとの意味では regress は progress の反対語であり,むしろ一時使われたこともある「退行」という訳語のほうが正確な意味を伝えていると思う。(p. 136)

「回帰」という意味が不明。
progress の反対語ならば,「退行」でいいのではないか。
「回帰」という用語が,統計学をわかりにくくしているような気がする。

 このようにいうと,小さい確率であってもまったくゼロではない限り,それを無視するのは正しくない,したがって,巨大事故の確率がゼロであるといいきれない限り,原子力発電所は建設すべきではないという議論が出されるかもしれない。(p. 202)

日本人に「リスク・マネジメント」の教育が足りないのではないか。

 ここで,金融工学の理論は正しかったのだが,市場で取引する人々が正しい理論に従わなかったのが悪いのだといっても言い訳にはならない。金融工学の理論は,抽象的な「正しい市場」を記述したものでもないし,またそれによって市場に「あるべき姿」を命令することができるものでもないからである。(p. 211)

人々は理論によって動いているのではなく,感情によって動かされている。

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)

偶然とは何か――その積極的意味 (岩波新書)

  • 作者:竹内 啓
  • 発売日: 2010/09/18
  • メディア: 新書
 

 

リスクをヘッジできない本当の理由 土方 薫

2020年5月23日更新

『リスクをヘッジできない本当の理由』(土方 薫,日経プレミアシリーズ,2009年3月9日発行)を読了。

 これまで金融というと,なんとなく特殊な世界にいて「きっと金融職人たちがうまくやっているのだろう」といった,漠然とした信頼感しかなかった。しかし,個人でもリスクヘッジをしながら上手く危機を回避しているのに,彼らにそれができないとなると,どこかおかしいと感じるのがごく普通の感性だろう。(pp. 32 - 33)

金融職人たちは,リスクをヘッジしているようでしていない。
そもそも,金融市場自体がギャンブルなので,リスクをヘッジしきれない。

 しかし,どんな精緻な分析をしようが,あるいは高度なモデルを使おうが,不安定で熱しやすく冷めやすい市場の将来を予想することはできるはずがないのだ。(p. 49)

「市場の将来を予想することができるはずがない」ということを肝に銘じておこう。しかし,完全に予想できなくても,ちょっと将来を予想するだけで,うまく儲ける方法があるのではないか。

 まさに人は,「浮かれ」「熱狂し」,そして「事実に気づき失望する」。IT バブルの膨張と崩壊は,まさにその経過を見事に示している。いったいこんな市場のどこが効率的なのだろうか。まさにロバート・シラーの主張する『根拠なき熱狂』そのものである。(p. 80)

人の心理に影響される市場は非効率的だ。

完全に効率的な市場では,価格が全て適正水準にあるため,取引機会は永遠に生まれてこない。しかし現実の市場は発展途上であるので,価格はしばしば適正水準から外れ,収益チャンスを提供する。(p. 83)

完全に効率的な市場であれば,価格は全て適正水準に向かって変動する。
そして,時間が経てば適正水準に収まるはず。


価格モデルの限界(pp. 115 − 117)

  1. 価格モデルによるシミュレーションによってできあがった価格分布が正規分布に従うと仮定していること
  2. 過去のデータに基づき将来の価格のブレの大きさ(ここではボラティリティをこう表現することにする。金融に詳しい方は少々我慢してほしい)を予想して,リスクを計測していること

市場をモデル化しようとすること自体が,無謀なチャレンジなのか。

 では,実際の市場において,価格は正規分布になるようなランダム・ウォークをしているのか。答えは「否」なのである。しかも問題なのは,価格のブレにクセがあることだ。どういったクセかというと,正規分布を超えて価格が下落してしまう傾向があるのだ。(p. 124)

価格のブレのクセは人の真理によって影響される。

 ではなぜ,途中でマネーゲームから降りられないのか。それは,私たちが投資しているマネーゲームの結果が,偶然のもとで決まっていることを忘れてしまっているからだ。(p. 150)

金融工学などを語ってみても,市場は偶然のもとで決まっているマネーゲームなのだ。

 このように,リスクのある環境下において人が下す評価価値というものは,ある一定限度を超えた瞬間にガラッと変わってしまう。こうした人の行動パターンを証明したのが,行動経済学の権威である D・カーネマンと A・トヴァースキーである。彼らは,「人はある基準になる点を境にして利益局面で得られる価値よりも損失局面で失う価値を 2.0 ~ 2.5 倍ほど重要視する」ということを,実験で明らかにした。つまり,儲かっている状態ではさほど気にかけなかった利益でも,それと同じ金額だけ損をすると,より深刻に感じる。その差が 2 倍から 2.5 倍であるというのだ。(pp. 154 - 155)

「売りは早かれ,買いは遅かれ」という格言が,それを端的に表している。

 オマハの賢人と呼ばれるウォーレン・バフェットも同じことをいっている。彼は経験と危険性を区別して,「経験は過去の出来事に関する情報であり,その出来事が再び起こる確率を考えるうえで基礎となる。一方の危険性は,これまで起きなかった出来事が起きるかもしれない確率を表す。保険がこれまで危険性ではなく経験に基づいて保険料を算出してきたために,巨大なテロリスクを安易に引き受けてしまった」と述べている。(pp. 169 - 170)

リスクをヘッジできないのならば,ある一定の覚悟をもって,リスクを受け入れるしかない。

 

アベノミクスの終焉 服部 茂幸

2020年5月22日更新

アベノミクスの終焉』(服部 茂幸,岩波新書,2014年8月20日発行)を読了。

 アベノミクスは異次元緩和という第一の矢,公共事業拡大による国土強靭化という第二の矢,成長戦略という第三の矢からなるとされる。第一の矢における経済学の理論的基礎はニュー・ケインジアンの金融政策論,第二の矢については土建ケインズ主義である。第三の矢は新自由主義経済学の要素が強いが,100 % そうともいえないようである。(p. iv)

アベノミクスの 3 本の矢は,3 つの経済学より成り立つ。


「雨乞いは雨を必ず降らせることができる」というジョークがある。「なぜならば,雨が降るまで続けるからだ」。これを異次元緩和に置き換えると,「異次元緩和は必ず日本経済を復活させることができる。なぜならば,日本経済が復活するまで続けるからだ」となる。(p. vi)

政策を実行し,それを続けていけば,何らかの結果が生まれる。

 アベノミクスそれ自体に効果がなくても,投資家たちが(間違って)効果があると思い込めば,株価上昇と円安が生じるのである。本当は効果がないとみんなが知っていても,自分以外の人々が効果があると信じているとみんなが誤解していれば,株価上昇と円安が生じる。(p. 11)

アベノミクスを批判するのではなく,みんなで一度騙されてみればよいのではないか。
日本人は失敗を恐れるあまり,慎重になりすぎていないか。

 例えば,日本の経済成長率がゼロだったとしても,異次元緩和が行われなかった場合,成長率がマイナス 3 % になっていたとすれば,異次元緩和が成長率を 3 % 引き上げたことになる。逆に 4 % という高い成長率であっても,異次元緩和が行われなくても 4 %の成長率だったならば,政策効果はゼロである。しかし,異次元緩和が行われなかったら,日本経済がどうなっていたかは正確には誰にも分からない。そのため,政策評価は曖昧なものとならざるを得ない。(p.  49)

経済政策は,実際の経済においてしか,その有効性を確かめる術はないのか。
もし,そうであっても様々な要因で経済成長率が決まるので,その政策の有効性を確かめることはできないだろう。

 日本の経済学者の間では量的緩和に対する異論も強かった。古くはケインズが『一般理論』の中で,金利が下限に達した流動性の罠の下では,金融政策は無効になると述べたことは有名である。(p. 105)

お金を流動させるしかないような政策にすればよいのではないか。
セーフティネットを破り,生活必需品を高くすることも一つの手ではないか。

 親の経済的地位が高いと,子どもの経済的地位が高くなるという傾向はどの国でもみられることである。(p. 149)

世代が進むにつれて,二極化が進む。

 アベノミクスは企業の利益が従業員の給与へとトリクルダウンすることを想定している。しかし,いざなみ景気期にはトリクルダウンは基本的には存在しなかった。製造業の大企業にはある程度存在したといえるにしても,急激な利益の拡大と比べると微々たるものでしかない。(p. 160)

トリクルダウンが期待できないのは,企業が内部留保に走っているからではないか。
明るい未来を,保証するものは何もないのだから。

 最終的に 2008 年の危機が新自由主義にとどめを刺したようにみえた。自由な金融市場が引き起こした危機を,とりあえず解決したのは政府による金融機関の救済だったからである。もし新自由主義の原則にしたがって,政府は市場に一切介入すべきでないとするならば,2008 年の危機は大恐慌の再来をもたらしたことであろう。(p. 170)

新自由主義の方向が間違ったときに,その軌道を修正してくれるのは政府しかない。

 クイギンは 21 世紀の経済学が留意すべきこととして,「厳密性よりも現実性を重視」「効率性よりも平等性を重視」「傲慢さよりも謙虚さを重視」の 3 点を訴えている。(p. 187)

「効率よりも平等性を重視」には相容れない。
経済を上昇させるはずのエンジンのロスは「平等性を重視」していることではないか。

アベノミクスの終焉 (岩波新書)

アベノミクスの終焉 (岩波新書)

 

 

傷つきやすくなった世界で 石田 衣良

2020年5月21日更新

『傷つきやすくなった世界で』(石田 衣良,日経プレミアシリーズ,2008年5月8日発行)を読了。

 近い将来,日本でもまた極右が復活することがあるのかもしれない。それは杞憂だという人もいるけれど,日本人の流れやすさを見ると,今後よほどの注意が必要になるのではないか。堂々と核武装を求める政治家もいるくらいなのだ。(p. 16)

2016 年アメリカ大統領選挙を見ると,流されやすいのは,日本人だけではないのかもしれない。

 理由は単純である。仕事のできる人はほぼ必ず,なんらかの情報のスクラップをつくっているからだ。新しい企画やアイディアを考えるとき,自分でつくったスクラップはびっくりするほど役に立つ。これは小説家でも,サラリーマンでも変わらない。(p. 23)

このブログも,スクラップの一つ。

 政府も少子化対策に本気で切りこむなら,ただ養育補助金をだすとか,保育園を増やすだけでなく,日本の労働習慣まで考えないといけないだろう。明日から週に三日はノー残業デイをつくり,その代わり夜遊びにでなければならない法律をつくったらどうだろう。きっと日本人のなかに眠るラテンの血が目覚めると思うのだけれど。

ワーク・ライフ・バランスという言葉が,やっと使われ始めた。
抜本的な対策が採られていないのはなぜだろう。

 ぼくは現在の過重な残業体制が,日本人から創造性を奪っていると思えてならない。真の創造性は生きることをたのしむ余裕から生まれるはずだ。遊びのないところに,新しい創造の芽はない。(p. 67)

余裕がなければ,クリエイティブな仕事はできない。

 みんなそろそろ年収や生涯賃金を幸福を計る手段にするのはやめませんか。幸福や人生の満足度は毎月の給与の合算とは,ほど遠いところにあるというのは,大人になったら常識だと思う。なにはともあれ,贅沢はそれなりに素敵だけれど,自分の基準を揺らすのはやめよう。プレイスタグの競争にまきこまれるのは,ごめんだからね。(p. 216)

年収や生涯賃金が,幸福や人生の満足度にどれだけ寄与しているのか。

 ぼくたちの時代は知の時代である。なにかを知ることが,力であり善だと無意識のうちに考えられている時代だ。だが,人という存在のなかには,とうてい理解不可能な悪がある。それを知ることで,逆に悪い影響を受けるほどの毒が眠っているのだ。(p. 227)

知ってはいけないこともあるが,知ることが力であり,善である。

 ぼくはときどき不思議に思うことがある。格差社会という言葉ができるまで,社会にたいした格差は存在しなかったのではないか。あるいは,負け組という言葉ができるまで,ほとんどの日本人は自分を中流階級だと単純に信じられたのではないか。ある現象が名前を与えられることで,あとから急激にリアルな現実として立ちあがってくる。それは言葉が現実を生んでしまう皮肉な逆転現象である。(p. 238)

ある現象に名前が与えられることで,一人歩きしてしまう。

傷つきやすくなった世界で (集英社文庫)

傷つきやすくなった世界で (集英社文庫)

  • 作者:石田 衣良
  • 発売日: 2011/11/18
  • メディア: 文庫
 

 

ホンモノの思考力――口ぐせで鍛える論理の技術 樋口 裕一

2020年5月20日更新

『ホンモノの思考力――口ぐせで鍛える論理の技術』(樋口 裕一,集英社新書,2003年7月22日発行)を読了。

 私が発見したことをまとめると,三つある。一つは,「欧米人,とりわけフランス人は,二項対立で物事を分析する」ということだった。第二は,「欧米人,とりわけフランス人は,『型』で考える」ということ。第三は,「欧米人,とりわけフランス人は,背伸びして考える」ということだった。そして,この三つの要素が,欧米人の知的で論理的な思考を成り立たせていると気づいたのだ。(p. 15)

二項対立,『型』で考える,背伸びして考える,この三つを実践してみよう。

 東洋の思想,とりわけ日本の思想は,多かれ少なかれ,根本にこの禅的な思想があるといっていいだろう。物事を二項対立で捉えない。人と自然は対立しているとは考えない。人は自然に囲まれている,人は他の生き物と連続した存在と捉える。生と死,自分と他者,イエスとノーも連続したものと考えている。対象を愛するということは,対象と合体することを意味する。(p. 22)

日本の思想は,連続的であるから,あらゆることに因果を求めるのか。

 知的であることを人前で見せて目立とうとし,知性を評価されるように振舞ってこそ,本当に知的になる。それなしには,知性をもてるようにならないのではなかろうか。(p. 31)

人前に出て,知的な発表をすることにより,知的になっていく。

 ノーという視点が生まれないと,停滞する。現状にノーを突きつけることによって,新しい展望が見えてくる。もっと言えば,ノーという言葉によって,発展する。(p. 45)

ノーから始める。

 私が提唱する 3 WHAT 3 W 1 H というのは,それをもじったものだ。
 3 WHATとは,「それは何か(定義)「何が起こっているのか(現象)」「何がその結果起こるか(結果)」だ。これらの三つの WHAT を考えることで,問題点を整理するわけだ。ここまででは,まだ問題点を整理しただけだ。このあと,3 W 1 H を考えてこそ,独自の視点が見つかり,思考が深まる。(p. 77)

問題点を整理しなければ,思考は始まらない。

 誰かを言い負かそうとして議論をすると,思考力は飛躍的に伸びる。ただ自分で思考力をつけようとしているだけでは,なかなか力の伸びは実感できない。友人や同僚など,対等な人間を相手に,様々なことで議論をするくせをつけておくといいだろう。(p. 187)

議論をすることにより,思考力を伸ばしていく。

 そして,もう一つ勧めるのが,文書を書くことだ。頭の中で考えただけでは,形として残らないため,思考が深まっていかない。かつて考えたことも記録として残らない。そうなると,いつまでも進歩しない。だが,文章として残しておくと,かつての自分の考えを振り返ることができる。だんだんと過去を乗り越えていける。そして,それをもっと深めることもでき,自分自身の考えを築いていくことができる。覚え書として,文章を残していくと,思考の記録となる。(p. 188)

文書を書いて,自分の考えたことを残していく。日々,考えたことを残していく癖をつけよう。

 

 

パラサイト・シングルの時代 山田 昌弘

2020年5月19日更新

パラサイト・シングルの時代』(山田 昌弘,ちくま新書,1999年10月20日発行)を読了。

 このように,学卒後もなお,親と同居し,基礎的生活条件を親に依存している未婚者を日経新聞紙上で「パラサイト・シングル」と読んだ(1997年2月8日夕刊)。そのネーミングは,当時「パラサイト・イヴ」という恐怖映画がロードショーにかかっていたので,あやかったものである。(pp. 11 - 12)

敢えて「寄生独身者」と訳さない。

 お気づきだと思うが,パラサイト・シングルは,子どもと大人の立場の「いいとこ取り」をしている。子どもとしての保護を受ける権利を保ちながら,大人の自由を享受している。(p. 53)

子どもと大人の立場の「いいとこ取り」ができるメリットを知れば,そこから抜け出せない。
近年では,男性のパラサイト・シングルに対し,「こどおじ」という言葉が用いられる。

 この二つの事実を合わせて考えると,パラサイト・シングルは未婚化の結果であると同時に原因であるということができる。これは,パラサイト・シングルがスパイラル的に「自己増殖」する存在であることを示している。(p. 56)

実際に,パラサイト・シングルがスパイラル的に「自己増殖」しているのではないか。
パラサイト・シングルが未婚化の結果であり,原因であることは正しいようだ。

 日本では,パラサイト・シングル同士が付き合うと,気軽にセックスする場が,日常生活の場にはない。お金にも余裕があるので,いわゆるラブホテル,モーテルに行かざるをえないし,行くお金があるのである。(p. 94)

ラブホテルの件数が,パラサイト・シングルの活動を示す指標になっている。

 これは,経済学者ケインズ合成の誤謬を想起させる。ケインズは,「個人を富ます貯蓄は全体を貧しくする」という有名な命題で,個人について成り立つ命題が,個人の集合社会全体については成り立たないことを示した。(p. 103)

個人の貯蓄を減らすためには,どうすればよいのか。
貯蓄しなくとも,何とかなる世界を政府が用意するしかないのか。

 メリットクラシーとは,能力主義と訳されたりする。自分の能力によって社会的地位が決まるという理念である。つまり,(ある分野で)能力がある人が,(当該分野での)高い地位を占めるということであり,「機会均等」の理念と結びついている。すべての人に機会が開かれ,能力のある人が実力を発揮すれば,上の地位に就くことができるという考え方である。(p. 118)

メリットクラシー能力主義)は,能力を高めるモチベーションとなる。

 若者を親から引き離し,自立させ,競争に負けた若者に対してセーフティーネットや敗者復活のチャンスを用意し,かつ,依存症にならない程度に政府が支援する方法を考えなくてはならない。(p. 190)

若者を親から引き離すことで,生まれるデメリットがあるのではないか。
分割非効率により,消費を促そうということか。

 

官製不況 なぜ「日本売り」が進むのか 門倉 貴史

2020年5月18日更新

官製不況 なぜ「日本売り」が進むのか』(門倉 貴史,光文社新書,2008年4月20日発行)を読了。

 経済政策の三つのラグ

  1. 「認知ラグ」政府が景気の交替や底打ちを認識するまでにかかった時間を指す。
  2. 「政策ラグ」政策当局が景気の変化に気づいてから,実際に経済政策が打ち出されるまでにかかる時間を指す。
  3. 「効果ラグ」経済政策が発動されてから,実際にその効果が現れるまでにかかる時間を指す。

本部が問題を認知するまでのラグ,規則化するまでのラグ,規則が施行されてから効果が現れるまでのラグ,私が務めている会社にも 3 つのラグがありそうだ。

 しかし,今の日本の政策当局は,規制緩和の推進を急ぐあまり,本来,規制緩和とセットで導入しなくてはならないはずの公正なルール作りと審判,罰則の用意が二の次になっている。そのために,ルールの隙間をつくような形で不当な利益を上げる業者が出る結果となっているのではないか。(pp. 54 - 55)

規制緩和するだけでは不十分である。
公正なルールを作り,その中で審判,罰則を明確にしておかなければ,不当な利益を上げようとする輩が出てくる。

 新自由主義新古典派経済学)は,市場原理主義,あるいは市場万能主義と言い換えてもかまわない。この思想は,政府や国家の介入をできるだけ小さくすれば,あとは,利益の極大化を追求する個人や企業が市場で自由に行動することにより一国全体の効率性・合理性が実現するという考え方だ。(pp. 106 - 107)

個人や企業に,一国全体の効率性・合理性を委ねることはできるだろうか。
現実問題として,非効率・非合理であるが,絶対に誰かがやらなければならないこともあるのではないか。

「トリクルダウン効果」というのは,富裕層やニューリッチ層など豊かな人たちが消費をすると,あたかも水滴がしたたるように,そのおこぼれによって貧しい人たちも潤う効果のことだ。たとえば,富裕層やニューリッチ層が高いお金を払ってメイドや家庭教師,庭師,運転手,マッサージ師を雇うといったケースがこれにあたる。(p. 110)

私は,「トリクルダウン」のどこに位置しているのだろうか。

 現在の富裕層やニューリッチ層は,消費をしたいから,その手段として富を蓄積するというのではなく,富の蓄積によって権力(社会的な影響力)を持ちたいという考え方のほうが強くなっている。(p. 113)

富があっても,それを全て使うわけではないから,持つ人と持たない人の格差が広がるばかりなのではないか。

 しかし,80 年代後半に発生した日本のバブルを振り返っても明らかなように,人々の心が過度な楽観主義に傾いたり,過度な悲観主義に傾いたりするのは,元をたどれば,政策当局の経済政策の誤りが引き金になっていることが多い。(pp. 167 - 168)

政策当局が万能ではないことは,歴史を見れば明らか。

 不確実性の二つの種類 by 経済学者 フランク・H・ナイト(p. 177)

  1. 自動車事故のようにある事象が起こる可能性を統計・確率的な手法によって推測できる不確実性(=「リスク」)
  2. 統計・確率的な手法では推測できない突発的に起こる事象(=「真の不確実性」)

統計や確率では予測できないことが起こりうるのが実体経済である。

スタグフレーション」とは,景気の停滞を意味する「スタグネーション(stagnation)」と「インフレーション(inflation)」の合成語で,不況とインフレが同時に進行する状態を指す。(p. 210)

インフレーションリスクには,しっかりと対応できるようにしておかなければならない。

 大田弘子経済財政担当相は 2008 年 1 月に行った経済演説(衆議院本会議)のなかで,日本の経済状況について「もはや経済は一流と呼ばれるような状況ではなくなった」と話していたが,客観的にみてもまさにそのとおりである。(p. 226

日本の経済が一流でなくなってから 10 年以上が経過。
日本経済は,今,どの位置にいるのだろうか。
少なくとも,一流に戻っているということはなさそうだ。