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アベノミクスの終焉 服部 茂幸

2020年5月22日更新

アベノミクスの終焉』(服部 茂幸,岩波新書,2014年8月20日発行)を読了。

 アベノミクスは異次元緩和という第一の矢,公共事業拡大による国土強靭化という第二の矢,成長戦略という第三の矢からなるとされる。第一の矢における経済学の理論的基礎はニュー・ケインジアンの金融政策論,第二の矢については土建ケインズ主義である。第三の矢は新自由主義経済学の要素が強いが,100 % そうともいえないようである。(p. iv)

アベノミクスの 3 本の矢は,3 つの経済学より成り立つ。


「雨乞いは雨を必ず降らせることができる」というジョークがある。「なぜならば,雨が降るまで続けるからだ」。これを異次元緩和に置き換えると,「異次元緩和は必ず日本経済を復活させることができる。なぜならば,日本経済が復活するまで続けるからだ」となる。(p. vi)

政策を実行し,それを続けていけば,何らかの結果が生まれる。

 アベノミクスそれ自体に効果がなくても,投資家たちが(間違って)効果があると思い込めば,株価上昇と円安が生じるのである。本当は効果がないとみんなが知っていても,自分以外の人々が効果があると信じているとみんなが誤解していれば,株価上昇と円安が生じる。(p. 11)

アベノミクスを批判するのではなく,みんなで一度騙されてみればよいのではないか。
日本人は失敗を恐れるあまり,慎重になりすぎていないか。

 例えば,日本の経済成長率がゼロだったとしても,異次元緩和が行われなかった場合,成長率がマイナス 3 % になっていたとすれば,異次元緩和が成長率を 3 % 引き上げたことになる。逆に 4 % という高い成長率であっても,異次元緩和が行われなくても 4 %の成長率だったならば,政策効果はゼロである。しかし,異次元緩和が行われなかったら,日本経済がどうなっていたかは正確には誰にも分からない。そのため,政策評価は曖昧なものとならざるを得ない。(p.  49)

経済政策は,実際の経済においてしか,その有効性を確かめる術はないのか。
もし,そうであっても様々な要因で経済成長率が決まるので,その政策の有効性を確かめることはできないだろう。

 日本の経済学者の間では量的緩和に対する異論も強かった。古くはケインズが『一般理論』の中で,金利が下限に達した流動性の罠の下では,金融政策は無効になると述べたことは有名である。(p. 105)

お金を流動させるしかないような政策にすればよいのではないか。
セーフティネットを破り,生活必需品を高くすることも一つの手ではないか。

 親の経済的地位が高いと,子どもの経済的地位が高くなるという傾向はどの国でもみられることである。(p. 149)

世代が進むにつれて,二極化が進む。

 アベノミクスは企業の利益が従業員の給与へとトリクルダウンすることを想定している。しかし,いざなみ景気期にはトリクルダウンは基本的には存在しなかった。製造業の大企業にはある程度存在したといえるにしても,急激な利益の拡大と比べると微々たるものでしかない。(p. 160)

トリクルダウンが期待できないのは,企業が内部留保に走っているからではないか。
明るい未来を,保証するものは何もないのだから。

 最終的に 2008 年の危機が新自由主義にとどめを刺したようにみえた。自由な金融市場が引き起こした危機を,とりあえず解決したのは政府による金融機関の救済だったからである。もし新自由主義の原則にしたがって,政府は市場に一切介入すべきでないとするならば,2008 年の危機は大恐慌の再来をもたらしたことであろう。(p. 170)

新自由主義の方向が間違ったときに,その軌道を修正してくれるのは政府しかない。

 クイギンは 21 世紀の経済学が留意すべきこととして,「厳密性よりも現実性を重視」「効率性よりも平等性を重視」「傲慢さよりも謙虚さを重視」の 3 点を訴えている。(p. 187)

「効率よりも平等性を重視」には相容れない。
経済を上昇させるはずのエンジンのロスは「平等性を重視」していることではないか。

アベノミクスの終焉 (岩波新書)

アベノミクスの終焉 (岩波新書)