Kindle Unlimited で『セイレーンの懺悔』(中山七里,小学館,2020年8月5日)を読了。
「セーフティネットっていうのは安全対策じゃない。自分がより自由に動くための保険みたいなものだ」(32 ページ)
自由に動くためには、保険は必要。
「どんな組織にだって問題はあるし,反感を持つヤツがいる。殊に報道なんて世間に向けて発信する仕事だから,文句を言うヤツはいつでも一定数いる。それを雑音と割り切れるほどの矜持があれば何ということもない」(93 ページ)
自分の意見を発信をすれば、文句を言うヤツはいつでも一定数いる。いちいち、文句を気にしているわけにはいかない。
「どんな大義名分があろうと,報道の基本は野次馬根性だ。隠された秘密を暴く,人の行かない場所に行く,不幸と悲劇を具に観察する。そういう野次馬が醜く見えない訳あるかよ」(153 ページ)
報道は醜いものである。
「警察が追っているのは人じゃなくて犯罪だ。真相を突き止めている訳でもない。法を犯したのは誰かを特定しているだけだ。だがマスコミが追っているのは憎悪の対象だ。明らかにしようとしているのは,自分たちとは無関係だと思いたい悲劇や人間の醜さだ」(182 ページ)
自分たちとは無関係だと思いたいばかりに、自分たちと異なる点を探し出す。
「どんな商売でもそうだろうが,その道に進もうとしたきっかけや動機に立ち戻ってみる。駆け出しの頃だから業界の常識に洗脳されてもいない。会社の社是も知らない。自分がいったい何のためにテレビの仕事をするのか,自分はこの世界で何を実現したかったのか,頭にあるのはそのことだけだったはずだ。それを思い出すだけで,案外霧は晴れていく」(188 ページ)
私が進んできた道、その道に進もうとしたきっかけや動機に立ち戻ってみよう。
「世の中で本当に取り返しのつかないのは,人の命を奪うことだけだ。それ以外の失敗は大抵挽回し,償うことができる。早々に諦めちまうのは,それこそ責任から逃れているようなものだ」(221 ページ)
命さえ奪ったり、奪わなければ、やり直すことはできる。
考えてみれば,謝罪することほど楽なものはない。
申し訳ありませんでしたと深く頭を下げ,地べたに額を擦りつければ少なくとも免罪符を得られる。権威は失墜するかも知れないが,自尊心だけは辛うじて護られる。
だが謝罪をしないという姿勢は傲慢で鼻持ちならない反面,当事者たちの罪悪感を増幅させてしまう。もちろん罪悪感を無視してしまえる人間も存在するが,そういう人間は虚勢と引き換えにもっと大事な何かを失う。罪悪感を持つ者は絶えず己の醜悪さを意識しながら,取材を続けることになる。つまり謝罪をしないという行為は,誠実さをも報道の義務という大義名分の犠牲にしろと強いることだ。(229 ページ)
謝罪して済むのであれば、それほど楽なことはない。謝罪もできず、罪を背負い続けるのは苦しいことだ。
酒を呑んで分かる疲れがある。
酒を呑んで分かる痛みがある。
アルコールが回って麻痺している部分は所詮その程度のものでしかない。しかし酩酊しても尚覚醒している疲れや痛みは,深く,しつこい。(230 ページ)
酒を呑んで分かる疲れ、痛みというフレーズは気に入った。
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