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ルポ 電王戦 人間 vs.コンピュータの真実 松本 博文

2020年6月12日更新

『ルポ 電王戦 人間 vs.コンピュータの真実』(松本 博文,NHK出版新書,2014年6月10日発行)を読了。

誰がこのゲームを作ったのか。その名は現代には伝わっていない。「神が作ったゲーム」とは将棋好きがよく口にする言葉ではあるが,なるほど,それは本当なのかもしれないと,思わされることも多い。(p. 16)

絶妙なバランスで将棋が作られている。
神は将棋の全てを知り尽くして,将棋を作ったのだろうか。

「コンピュータと将棋とチェスの話を升田九段にしました。先生は『私のカンだがなあ,コンピュータの進歩で,プロの五段くらいまでは行くんじゃないかと思う。それ以上はアカンだろうな』それから,ニヤリと笑っていいました。『僕が本気で仕込んだら別だが』」(『数理科学』1971年1月号)(p. 28)

升田氏のコメントから 40 年余り,ついにコンピュータ将棋が将棋名人を負かしてしまった。
1971 年にそれを想像できた人はいただろうか。

「玉は包むように寄せろ」とも言う。あせらずに網をしぼっていく方が結局,効率がいいのだ。「女の子も包むように寄せなければ」と言っていた東大将棋部員もいたが,本人がそれを実践できていたのかはあやしい。(p. 84)

大将棋部員の,女の子の寄せを見てみたい。

「『人間界』では飛車先の歩をものすごい意識していますけれど。人間は高く評価しすぎなんじゃないかと最近は思っています」by山本 一成 (p. 112)

人間がこれまで培ってきた価値観を,コンピュータ将棋は打ち破ってしまう。
そして,新しい価値観が生まれてくる。

 磯崎元洋は,コンピュータ将棋は本来もっと強くなってもおかしくないと考える。対局後に対局を再検討し,よりよい手が見つかれば自動的にデータベース化する「局後学習」など,独自の手法を積極的に開発している。(p. 181)

人間が感想戦を行うのに対して,コンピュータ将棋は局後学習を行う。
そしてよりよい手を自動的にデータベース化していけば,ますますコンピュータ将棋は強くなる。
常に進化し続けるのだから。

戦前に無敵の木村義雄は,相撲の大横綱双葉山と並び称される存在だった。戦後の高度成長期にひたすら勝ち続けた大山康晴は,相撲の大鵬や,野球の巨人軍とよく同列で語られていた。(p. 188)

昨今,無敵と言える存在はあるだろうか。

「人間の読みは不安定で,ミス,あら,錯覚,見落としが出る。公平に考えて,人間も盤駒を使って戦うべき。盤駒を使って指すとこちらも間違えない。人間の方にだけヒューマンエラーがある。また,一手一分以内ではなく,一手十五分以内ならばまず間違えることはない」by 森下 卓(p. 215)

ヒューマンエラーを無くせば,コンピュータ将棋と渡り合える。
森下氏の発言をさらに検証すべきではないか。

 桂は使い道の難しい駒で,「桂を三枚持ったら負け」というジンクスを語るアマ強豪もいた。経験的にはうなずける話なのだけれど,正確な統計が取られたわけではない。しかし保木邦仁が 2006 年に発表した論文によると,機械による自動学習の結果,香は三枚目,四枚目の価値が高くなるのに対して,桂は逆に低くなっていくことがわかった。なるほど,それはプログラミングの門外漢でも,納得できるような話である。(p. 227)

コンピュータ将棋が,将棋に関する格言やジンクスを検証してくれる。

人間は「考える葦」であり,およそ人間を人間たらしめているのは,頭で考えるという点で優れているからではないか。その優れた人間の知性を端的に表す存在が,チェスや将棋の達人である。その達人が他の存在に負けて,悔しくないわけがないではないか,と。(p. 237)

2017年4月1日,コンピュータ将棋が佐藤天彦名人を破ったが,あまり大きく取り扱われていないのはなぜだろう。
将棋のタイトルホルダーがコンピュータ将棋と戦いの場につくのが遅すぎたのかもしれない。

無人島にもし何かひとつ持っていけるとしたら,何を持っていく?」
 このよくある質問に,「羽生さん」と答えた人がいた。加藤一二三九段である。確かに,他に何もなくとも,羽生善治三冠と将棋盤をはさんで(あるいは将棋盤がなくて棋譜を符号で言い合うとしても),ずっと将棋を指すことができれば,それはどんなに素敵なことだろうか。(p. 249)

確かに,無人島で将棋ができるのであれば,退屈はしないだろう。
その相手が,羽生善治ならばなおさらだ。