2020年3月18日更新
『大放言』(百田 尚樹,新潮新書,2015年8月20日発行)を読了。
放言は,常識に対するアンチテーゼであり,現状における問題提起であり,過激な提言であった。またしばしば毒舌的であり,ユーモラスで知的な面もあった。(p. 7)
放言は問題提起と捉えよう。
「近頃の若いものは……」という愚痴は,古代エジプト王朝の遺跡から発掘された粘土板にも書かれていた言葉だという。つまりこの言葉は人類普遍の年長者の「放言」でもあるわけだ。もっとも遺跡の話は都市伝説という説もある。(p. 20)
現在の年長者も昔は,「近頃の若いものは……」と言われていたはず。
世の親や教師に言いたい。何もやったことのない子に「やればできる」と言うのはやめようではないか。彼らに言うべきことは,
「やらないのは,できないのと同じだ」
という言葉だと思う。もうこれ以上,日本にバカを増やしてほしくない。(p. 28)
「やればできる」というのは,勘違いのもとになる。
しかしたいていの人が三日もすると,書くことがなくなってしまう。自分の人生は思っていたほど劇的で面白いものではないということに気付く衝撃的な瞬間だ。(p. 45)
ブログを書き続けることができない理由。
戦後,日本を七年間にわたって占領した占領軍司令部(GHQ)は,日本人に徹底した自虐思想を植え付けた。これは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)と呼ばれているもので,簡単に言うと,「何もかもお前たちが悪かったんだ」という意識を日本人に植え付けたのだ。(p. 80)
自虐思想に毒された人々はいっぱいいる。
「原爆を投下した者と,投下された者との区別さえもできないような,この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには,民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」(インドのラダ・ビノード・バル判事)(p. 84)
碑文に主語を与えよう。
国民の生活,文化,思想あるいは国際情勢によって憲法を変えていくのは当然のことです。六十七年も変化していない日本国憲法は,すでに「世界最古」の憲法です。これほど長い時間が経てば,国民生活も世界の情勢もすべてが変わっています。にもかかわらず憲法を一文たりとも変えないのは柔軟性がなさすぎます。(p. 212)
国民生活や世界情勢が変わっていることを知りながら,なぜ憲法を変えないのか。
しかし,「自国は守ってもらいたいが,他国を守るのは御免こうむる」という国があれば,どこからも相手にしてもらえないだろう。日本の左翼系ジャーナリストたちが,日米安保条約でアメリカに守ってもらいながら,アメリカが攻撃されても助けないというのは,はっきり言えばそういう主張である。また集団的自衛権の行使を放棄するなら,自国の軍隊だけで国を守れるほどの強力な軍隊が必要であるが,左翼系の人々はそれさえも認めないという。もう何が言いたいのか意味がわからない。(p. 218)
左翼系の人々は,自分がどれだけおかしなことを言っているのか,わかっているのか。
戦争のない世界は理想である。私達はそれを目指していかなければならない。
しかし残念なことに,口で「平和」を唱えるだけでは戦争は止められない。世界と日本に必要なのは,戦争を起こさせない「力」である。
力のない正義は無能である。(p. 220)
戦争を起こさせない「力」を日本が持てるように。