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あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書 保坂正康

2019年12月19日更新

これは一つに,いわゆる平和教育という歴史観が長らく支配し,戦争そのものを本来の“歴史”として捉えてこなかったからだといっていいだろう。太平洋戦争を語る際は必ず「侵略」の歴史であるとしなければならず,そして「反戦」「平和」「自由」「民主主義」「進歩」といった美辞麗句をちりばめ,言い換えれば史実の理解もなくやみくもに一元的に語ってきた。それで,後は臭いものには蓋と,一切の歴史をそうした枠内に追い込んできた。(pp. 4-5)

戦争は悪という一元論では,思考が停止してしまう。
今日の日本がいまだに憲法第 9 条改正を実現できていないのは,この一元論も一つの要因か。

青年将校の決起自体は失敗に終わったわけであるが,結果的に「2. 26 事件」は,彼らが訴えていた通りの「軍主導」,とくに「陸軍主導」による国家体制の方向へと進ませることになった。(p. 65)

軍部主導が結果として,戦争へのトリガーだった。

皇紀 2600 年」の大式典は,こうした「天皇に帰一する国家像」を象徴するものであった。いわば,日本は理性を失った,完全に“神がかり的な国家”に成り下がってしまったのである――。(p. 73)

理性を失った国家は,自らを“神がかり的な国家”として,妄想を始めた。

東條の秘書官だった赤松はこうも言っていた。
「あの戦争は,陸軍だけが悪者になっているね。しかも東條さんはその中でも悪人中の悪人という始末だ。だが,僕ら陸軍の軍人には大いに異論がある。あの戦争を始めたのは海軍さんだよ……」
太平洋戦争開戦について,最初に責任を問われるべきなのは,本当は海軍だったのである。(p. 92)

陸軍か,海軍か,いずれにせよ,軍人が責任を問われる。

この時の空気は「2. 26 事件」に端を発した“暴力の肯定”で神経が麻痺していく感覚と似ているようにも感じられる。鬱屈した空気の中でカタルシスを求める。表現は悪いかもしれないが,“麻薬”のような陶酔感がある。(p. 99)

暴力で鬱屈した空気を打破していく。

外務省本省が電報で送ったアメリカへの開戦通告を,在米日本大使館で正式文書にタイプするのに手間取り,真珠湾攻撃開始から 55 分も遅れてしまったのだ。在米大使館ではその重要な内容を理解しなかったがゆえに起きた不幸であった。(p. 103)

この手間取りが,日本は卑怯,というレッテルに繋がった。
その文書の持つ意味を理解しておかなければ,歴史に禍根を残す。

私は,この戦争が決定的に愚かだったと思う,大きな一つの理由がある。それは,「この戦争はいつ終わりにするのか」をまるで考えていなかったことだ。(p. 105)

戦争を始める際には,どんな状況になれば,終わりにするのか,ということを考えておく。
考え得る状況はすべて網羅しておく。

しかし,その大本営は,自分たちに都合の悪い状況を隠すことのみに汲々とし,決して自己省察などしようとしなかった。「戦争の目的は?」と聞かれれば,「自存自衛のため」などときれいごとを述べているだけであった。(pp. 120-121)

引くに引けない,ということだろうか。

資料に目を通していて痛感した。軍事指導者たちは“戦争を戦っている”のではなく,“自己満足”しているだけなのだと。おかしな美学に酔い,一人悦に入ってしまってるだけなのだ。(pp. 121-122)

美学に酔ってしまうのは,エリートが陥りそうな罠かもしれない。

日本の軍人が徹底的に教え込まれた「戦陣訓」には「生きて虜囚の辱を受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という有名な一節がある。いかなるときも「捕虜になってはいけない」という根本教育がなされていたのであった。(p. 138)

当時の日本軍の戦陣訓は,世界から取り残されていた。
だから,世界から恐れられたという一面もあるのか。

その結果が,並外れた,視野狭窄ともいえる“集中力”を生み出していたことを全否定はできないはず。しかし,結局,“総力を結集した”方向が,「お国のために死ぬこと」になってしまったのである。(p. 159)

日本が一つになった,それも美しく散るという方向に。

「戦術」はあっても「戦略」はない。これこそ太平洋戦争での日本の致命的な欠陥であった。(p. 166)

現在の日本にも「戦術」はあっても,「戦略」はないかもしれない。

その時の連合艦隊司令部は,日本海海戦での英雄,を真似て「皇国の興廃,この一戦にあり」と檄を飛ばした。(p. 181)

この言葉は確かに心を震わせるものがある。

「空襲は激化しており,これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ,文化を破壊し,世界人類の不幸を招くのは,私の欲しないところである。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。……昨日まで忠勤を励んでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは,情において忍び難いものがある。しかし,今日は,忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う」(昭和天皇)(p. 212)

祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えること,これはすべての国民が持つ義務。

「これを認めれば日本は亡国となり,国体護持も不可能になります」(阿南惟幾)(p. 215)

国体護持ができるか,国の指導者は責任を持って考えなければならないこと。

なぜ,こんな無謀な戦争を始めてしまったのか,なぜ,歴史的使命も明確でなく,戦略も曖昧なままに,戦争を続けてしまったのか――。
誤解を恐れず結論的にいうなら,「この戦争は始めなければならなかった」のだ。戦争で亡くなった 310 万人(戦後の戦病死を含めると 500 万人になるだろうが)のことを考えると,本当に気の毒としかいいようがない。しかし,日本はやはり戦争に向かう“必然性”があったのだと思う。(p. 221)

明治維新から太平洋戦争までが,一つの流れとして捉えることができるのではないか。

敗戦後のどん底生活から,高度成長を成し遂げた。その“集中力”たるや,私には太平洋戦争に突入した時の勢いと似ているように思えてしまう。つまり逆にいうと,高度成長期までの日本にとって“戦争”は続いていたのかもしれない。ひとたび目標を決めると猪突猛進していくその姿こそ,私たち日本人の正直な姿なのだ。(p. 223)

猪突猛進していける日本人,現在は目標を見失っているのではないか。
皆が目指せる目標を掲げれば,日本がまとまるのではないか。

だが「戦争が終わった日」は,8月15日ではない。ミズーリ号で「降伏文書」に正式調印した9月2日がそうである。いってみれば8月15日は,単に日本が「まーけたー」といっただけにすぎない日なのだ。
世界の教科書でも,みんな第二次世界大戦が終了したのは,9月2日と書かれている。8月15日が「終戦記念日」などと言っているのは,日本だけなのだ。(p. 234)

昨日は2016年9月3日であったが,私の知る限り,終戦について語られていなかった。

よく「大東亜共栄圏はアジアの独立,解放のためになったのだ」などと,したり顔で言う元高級軍人や政治家を見受ける。それに追随して「大東亜戦争肯定論」を撒く人たちがいる。そんな彼らを見ていると,戦後,日本で安穏と暮らしながら,臆面もなくよく言うよと思ってしまう。歴史から抹殺された彼らのことを思うと,そういう発言に不謹慎な響きを感じる。
こういう人たちに指導された結果があの戦争だったのだと改めて怒りがわいてきてしまうのだ。(p. 238)

指導者たちの自己正当化は今日でも見受けられる。
それは仕方がないことではないか。 

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

  • 作者:保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/15
  • メディア: 新書