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日本人の誇り 藤原 正彦

2020年7月28日更新

『日本人の誇り』(藤原 正彦,文藝春秋,2011年4月20日発行)を読了。

 日本は今,自国を自分の力で守ろうともせず,安保条約のまやかしにも気付かぬまま,気付いてもそれを正そうともせず,守られているという幻想の中で安眠しています。周囲のあらゆる国に対し腰を屈め,揉み手をし,媚笑を浮かべ,波風を起こさぬことだけを心懸けて振舞っています。(p. 14)

なぜ,日本人はこんな風になってしまったのか。誇りはどこへいったか。

「地上で天国あるいは極楽にもっとも近づいている国だ。……その景色は妖精のように優美で,その美術は絶妙であり,その神のようにやさしい性質はさらに美しく,その魅力的な態度,その礼儀正しさは,謙譲ではあるが卑屈に堕することなく,精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を,人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて,あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである」 by イギリスの詩人エドウィン・アーノルド(p. 41)

日本の素晴らしさは,他国の人も認めるところであるが,その国の人々の誇りは失われつつある。

戦後,GHQ大東亜戦争という言葉を禁止し,日中戦争,太平洋戦争という言葉を使わせるようにしました。大東亜戦争という言葉は大東亜共栄圏という日本の掲げた大儀を認めるような印象があります。その上,日米戦争というものをあたかも独立したものとして切り離すことで,自らの日中戦争への深い関りを糊塗しないと,「不意打ち」が成り立たなくなってしまうからです。(p. 178)

かつての日本の掲げた大儀は,大東亜共栄圏であった。
それは,忘れてはいけない。

「われわれは,アジアをはじめ全世界の非圧迫民族と提携して,覇道文化にたつ列強に対抗しようと考える。日本は世界文化に対して西方の覇道の番犬となるか,はたまた,東方王道の干城となるを欲するか」 by 孫文(p. 226

番犬ではなく,国を守る武士となる。
それは,誰もが望むことではないのか。

日本は恐ろしい侵略国であった,などというフィクションを信じこまされているから,日本人自ら「自分達は一人一人はよいのに集団になると暴走しやすい危険な民族である」と自己否定してしまい,自国の防衛にすら及び腰になるのです。そして何より,明治以降を占領軍と日教組の都合に合わせて否定されたままにしておいては,いかに江戸期までに素晴らしい文明を創り上げた日本があっても,祖国への誇りを持ちにくいからです。歴史の断絶とは故郷の喪失のようなもので,祖国へのアイデンティティー喪失につながるのです。(p. 236)

なぜ,自己否定しなければならないのか。
日本人の誇りを取り戻せ。

日本人の誇り (文春新書)

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