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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

暴走する地方自治

統一地方選挙が行われた2023年,参考のために『暴走する地方自治』(田村秀,筑摩書房,2012年5月10日)を読んでみた。

現状に大きな不満を持つ住民からすれば,現状を変えるということ自体,大賛成なのかもしれないが,国,地方を問わず往々にして大衆迎合のばらまき政策が選択されがちだ。本来は,短期的な視点だけではなく,中長期的な視点も十分踏まえ政策を決めるべきではないだろうか。(p. 14)

現状を変えることは賛成でも,現状をどう変えればよいのかを考えられる人は少ない。

諸外国の事例を見る限り,やはり原発の建設や運転には地方自治体ではなく,国が責任を持ってしっかりと判断を下すということが当然のこととなっている。我が国では経済産業省資源エネルギー庁が肝心なところは地方自治体に事実上丸投げして,あとは地元と電力会社で上手くやってくれ,国は交付金という飴を提供するから後は知らない,と言ってきた。そのツケが今になって大問題となり,エネルギー政策が制御不能に陥っているのだ。(p. 122)

国がしっかり判断すべきものと,地方が判断するものの仕分けが必要か。一度,地方に判断を委ねたら,元に戻すのは難しくなるか。

縣氏*1は慎重な言い回しで述べているが,分権や多様性というものが常に正しい結果を生み出すとは限らないということではないだろうか。財政的に余裕のある地方自治体が,いわば住民の支持を得ようと競ってより手厚い施策を講じていくと,結果的に財政的に余裕のない地方自治体との格差はさらに広がってしまう。国がしっかりと責任を持って一律に実施すべき分野は,実は少なからずあるのではないだろうか。(p. 127)

私の住む地方自治体は財政的に厳しいので,他の地方自治体との格差が生じてしまいそうだ。そのとき,他の地方自治体がうらやましくて仕方がなければ,移住すればよいだけか。

変革を求める声が強まる中で,現状の何が問題かについて深く議論することなく,変えることこそが大義であるという風潮が強まっている。特に,地方自治制度を変えさえすれば地域はよくなると言わんばかりの「改革派」首長の台頭は,この国をどのように変えていってしまうのだろうか。(p. 227 - 228)

「変えることこそ大義である」という風潮は,政治だけでなく,会社でも台頭している。

不易と流行は,継続と変革という言葉に置き換えることもできるだろう。変革も重要な選択肢ではあるが,これまでの取り組みをしっかりと見つめなおし,続けるべきものは続けるという姿勢も否定されるべきではないだろう。継続は力なり,である。(p. 229)

大きなシステムとして国や地方自治を捉えれば,何かを変えても変化が現れるまでには相当な時間と労力がかかる。結果が出ないからといっても,続けるべきものは断固として続けていく。

 

*1:縣公一郎早稲田大学政治経済学術院教授