2020年3月20日更新
はじめに
日本プロ野球,国鉄スワローズと読売ジャイアンツで活躍した金田 正一 氏(かねだ まさいち,1933年8月1日生)が,2019年10月6日に亡くなった。
上記のように,日本プロ野球に燦然と輝く記録を残した金田 正一 氏の記録をグラフ化してみた。
勝利数
金田 正一 氏の年度別の勝敗数を下図に示す。
1951 年度から 1964 年度まで,20 勝以上挙げているのは,圧巻である。
ただ,これだけ多くの勝利を挙げているのに,年間最多勝となったのは,わずか 3 回(1957 年,1958 年,1963 年)しかない。
ちなみに,1964 年度までは国鉄スワローズ,1965 年度からは読売ジャイアンツでプレーしているが,読売ジャイアンツ移籍後,わずか 47 勝しか挙げていないのは意外である。
奪三振
金田 正一 氏の年度別の奪三振数を下図に示す。
20 勝以上挙げていた時期(1951 年度 ~ 1964 年度)の奪三振は 200 を大きく超え,非常に高いレベルである。
最多奪三振については,10 回獲得している。
一方,読売ジャイアンツに移籍した 1965 年度以降,奪三振数についても勝利数と同様に激減している。
通算勝利数
金田 正一 氏の年齢と通算勝利数,通算敗戦数の関係を下図に示す。
金田 正一 氏が 26 歳のとき,すでに 200 勝を達成している。
通算 200 勝すらも難しいと言われる今日においては,信じがたいペースである。
「時代が違うので比較しにくいが,400 勝を超えるピッチャーは永遠に出てくることはない。今なんて 200 勝だって難しい。金田さんは 400 勝したという自負が強かったが,それだけのことを口だけではなく実際にやってきた人」(江本孟紀)
なお,参考のため日本プロ野球における通算勝利数の上位は以下の通り。
金田 正一 氏は,32 歳時点で通算 353 勝で,日本プロ野球の通算勝利数 第 2 位の米田 哲也 氏の記録を上回っている。
読売ジャイアンツに移籍したとき(1965 年度),既に日本プロ野球史上最多の勝利数を挙げていた。
通算奪三振数
金田 正一 氏の通算奪三振数を下図に示す。
通算勝利と同じように,とてつもないスピードで通算奪三振数を伸ばしている。
通算奪三振は,歴代 2 位の小山 哲也氏の記録より,1,000 以上多い。
ただし,メジャーリーグ(MLB)において,ノーラン・ライアン,ランディ・ジョンソン,ロジャー・クレメンスは,金田 正一氏の記録を上回っているようである。
- ノーラン・ライアン 5,714 奪三振
- ランディ・ジョンソン 4,875 奪三振
- ロジャー・クレメンス 4,672 奪三振