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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

御子柴弁護士シリーズ1 贖罪の奏鳴曲

『贖罪の奏鳴曲 御子柴礼司』(中山七里,講談社,2013年12月1日)を読了。

昔話に出てくる鬼は死体を戯画化したものだ,という話を法医学教室の老教授から聞いたことがある。血の気を喪い青白くなった皮膚の下では腐敗ガスが発生し,膨張したガスが身体全体を内側から膨らませる。これが青鬼。そして次の段階では胃液が自己融解を始めて蛋白質を変質させ,そのために全身が赤くなっていく。これが赤鬼。(27 ページ)

鬼は死体を戯画化したもの,という説は,なるほどと思った。

思いやりというのは多くの場合本人の勘違いか自己陶酔か,さもなければ偽善だ。何が親切で何が迷惑なのか。それは同じ境遇,同じ立場にならなければ到底理解できるものではないと御子柴は思う。(47 ページ)

思いやりは,難しいということか。

裁判員裁判制度の肝は裁定に市民感覚を反映させることだが,感覚がどこまでいっても感覚でしかない。そして感覚とは己の立ち位置や時間の経過でいくらでも変容する胡乱なもので,法の素人がそんな尺度で罪を推し量ることが果たして妥当なのかどうか,未だ明快な回答もないまま制度だけは走り続ける。憲法上の根拠を欠きながら国民に義務を課したどさくさ紛れの制度が,司法判断を井戸端会議レベルまで落とし始めている。(111 ページ)

市民感覚とは,感覚に過ぎない。

面従腹背を決め込んで優等生の振りをしていても,裡に飼っている獣が死に絶える訳ではない。(153 ページ)

裡に飼っている獣は,大切にしよう。

「前にも言ったことがあるよな。後悔なんかするな。悔いたところで過去は修復できない。謝罪もするな。いくら謝っても失われた命が戻る訳じゃない。その代わり,犯した罪の埋め合わせをしろ。いいか。理由はどうあれ,人一人を殺めたらそいつはもう外道だ。法律が赦しても世間が忘れても,それは変わらない。その外道が人に戻るには償い続けるしかないんだ。死んだ人間の分まで懸命に生きろ。決して楽な道を選ぶな。傷だらけになって汚泥の中を這いずり回り,悩んで,迷って,苦しめ。自分の中にいる獣から目を背けずに絶えず闘え」(212 ページ)

るろうに剣心でも,同じようなことを言っていたな。