Masassiah Blog

現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

木曽義仲「朝日将軍」と称えられた源氏の豪将

木曽義仲「朝日将軍」と称えられた源氏の豪将』(小川由秋,PHP 研究所,2015年7月31日)を読了。

「たとえ法皇のお使いが我慢のならない態度があったとしても,兵をもってこれに立ち向かうのはもってのほかのことです。十善の帝王(前世に不殺生,不偸盗など十の善行を保った果報により,その地位を与えられた者のこと,天皇を指す)に向かって,どうして合戦などできましょう。甲を脱ぎ,弓の弦を外して降伏なされませ」(位置 No. 3466,今井四郎兼平の言葉)

十善の帝王という言葉は初めて知った。

日本全土の半数にも及ぶ知行国を手に入れ,これに対抗する勢力はもはや皆無と思われていた平家の支配体制が大きく崩れ始めるのは,明らかに義仲の手によって勝ち取られた倶利伽羅峠の戦いからである。

だがこの大きな分岐点ともいえる時代の画期を越えた段階になると,それまで不可能と見て傍観していた者たちが,この流れに便乗し,あわよくばこの功を奪い取ろうと群がり寄ってくる。

政治的駆け引きにかけては一枚も二枚も抜きん出た才腕を有する者たちが,虎視眈々と控えていたのである。それが世の現実であり,歴史はその者たちによって築き上げられていくことが多い。

だがそうした後続の者たちによって語られていく歴史評価だけではなく,その分岐点を自らの手で乗り越えた者たちの目で語られる物語からも,いまを生きている人間にとって,心に響くなにかが得られるのではないだろうか。(位置 No. 3907)

分岐点を自らの手で乗り越えた者にあこがれるが,流れに便乗し,先行者の功を奪い取るのが,現実的な選択か。

後の世になって松尾芭蕉が義仲のまっすぐな生き方を愛し,自分の墓を義仲寺の義仲の墓の隣にしつらえさせたのも,若き日の芥川龍之介が義仲に心酔したのも,義仲という人間の持つ,大自然の息吹を感じさせる爽やかな生き方に,共感するものがあったからではないだろうか。(位置 No. 3921)

義仲の活躍は,非常に短いものであったが,その生き方には共感するものがあり,源頼朝の生き方よりも魅力的に見える。