著者の主張、
邪馬台国を論じるなら、やはり北東アジア史の流れにおいて位置づけなければならないということで、邪馬台国を含めて、北東アジアの七つの民族について書かれた「魏志東夷伝」を大きく取り上げています。まあ、やや史料史上主義の感も否めませんが・・・。
まあ、著者の言うように北東アジア史の流れを考えると、邪馬台国は九州に存在したということか・・・。
史料を基に、歴史を推理していくのもいいが、やはり考古学的な純然たる証拠がなければ、何も結論は出んがいちゃ。