『知ってはいけない 合本版』(矢部宏治,講談社,2018年12月1日)を読了。
アメリカ大統領とは,すなわち核兵器を世界戦略の中心に据えた世界最強の米軍の最高司令官であり,彼は日本の上空を事実上自由に,自国の軍用機を引き連れて移動することができる――皮肉にも,そうした歪んだ現実世界の姿をまざまざと見せつけた,ノーベル平和賞受賞大統領の広島訪問となりました。(p. 27)
アメリカ大統領は,日本の上空を自由に移動することができる。
1947 年に結ばれた「米比軍事基地協定」(1991 年に失効)には,米軍がフィリピン国内に基地を置いていいのは次の 23 カ所であると,その場所がすべて具体的に明記されているからです。
ところが日本の場合は,特定の場所を基地として提供する取り決めではなく,どこにでも米軍を「配備」できることになっている。これを「全土基地方式」といいます。(p. 71)
契約を締結するとき,お互いに一線を引けるように具体的な記述が必要。
憲法 9 条のもとで私たち日本人は,世界一戦争をよくする米軍に対して,
「国内に自由に基地を置く権利」と,
「そこから飛びたって,自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」
を両方与えてしまっているのですから。(p. 78)
憲法 9 条と米国との条約は,表裏一体なものか。いずれかを変えるのであれば,もう一方も変えていく必要がある。
「古くて都合の悪い取り決め」 = 「新しくて見かけのよい取り決め」 + 「密約」(p. 106)
密約があるから,一般庶民には都合の悪いところが見えにくい。
日本は8月15日を戦争の終わりと位置づけることで,「降伏」というきびしい現実から目をそらしつづけているのです。
「日本は負けた。無条件降伏した」
本当はここから新しい日本を始めるべきだったのです。しかし「降伏」ではなく「終戦」という言葉を使うことで,戦争に負けた日本のきびしい状況について,目をつぶりつづけてきた。それが日本の戦後だったといえるでしょう(p. 145)
自ら戦争を終わらせたのではなく,無条件降伏することで戦争が終わったということを自覚すべし。
「日本国憲法の草案は,占領下で占領軍によって書かれたものである」
まずこの明白な事実を,いかなるあいまいな言い訳もなく,真正面から受け入れる必要があります。たしかに厳しい現実です。大きな心の痛みも伴います。
でも,そこから出発するしかありません。事実にもとづかない主観的な議論には,いくらやっても着地点というものがないからです。(p. 154)
自国の憲法を他国の者に起草されたのは,悲しい事実。今もその憲法が改憲されずにのこっているのは,さらに悲しい事実。
1946年2月3日,マッカーサーの指示のもと,部下のケーディス大佐たちが日本国憲法の草案をつくり始めた日,ロンドンではまさに,第一回・国連安保理決議にもとづく「国連軍創設のための五大国の会議」(第一回軍事参謀委員会会議)が始まっていました。
そしてその日,マッカーサーが部下たちに示した憲法草案執筆のための三原則(いわゆる「マッカーサー・ノート」)のなかには,
「日本はその防衛と保護を,いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる」
と書かれていました。
憲法 9 条が国連軍を前提として書かれた条文であることに,疑いの余地はありません。(p. 163)
国際連合安全保障理事会の決議によって組織された国際連合の指揮に服する軍が組織されたことは一度もないのに,憲法 9 条が手を付けられずにいるのはいかがなものか。
美しい「理念」を語るより,社会の「安定」を重んじる立場を「保守」と呼ぶのなら,私はその立場を心から支持します。社会が混乱に陥ったとき,最初に犠牲になるのはいつも私たち一般の庶民,なかでも,もっとも立場の弱い人たちだからです。(p. 229)
美しい「理念」も必要だと思うが,社会の「安定」があればこそ。
(岸や佐藤が)密約は首相個人の責任で交わしたつもりだったのに対し,米側は組織として密約を機関決定し,公表はされないが有効な国家間の取り決めとして,政権が変わっても引き継いでいく。この両国の埋め難い密約観の違いが,時に,日米間の深刻な亀裂となってあらわれることがある(p. 255)
今も残る密約をどのように扱えばよいか。
日本には古くから,顕教(オモテの教え)よりも密教(ウラの教え)の方が上位にあるという社会的な伝統があり,その「密教」にアクセスできるものだけが,組織において真の権力を握る。戦後,日米間で結ばれた軍事上の密約こそは,まさしくその密教そのものであり,エリート中のエリートである外務省の幹部たちによって,これまで厳重に管理されてきたのだなと。(p. 282)
密教を知らない者は,蚊帳の外に置かれている。
とくに深刻なのは,過去の歴史的事実の共有がないということ。省内の重要なポストはどれもほぼ二年で交代するため,そのポストにいるときだけは最高の情報が集まる。しかし,ほかの時期のことはわからない。局長や次官といえどもそれは同じで,自分がそのポストにいないときの知識は,基本的に持っていないというのです。(p. 286)
何十年も続くようなものは,薄められて引き継がれていくのは容易に想像できる。
「政治資金は,濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない」
「問題が起きたときには,その濾過器が事件となるので,受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから,掛かり合いにならない」(p. 325)
今日の政治資金の問題にも通ずるところがあるか。
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