Masassiah Blog

現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

LIFE SHIFT

数年間,積読していた『LIFE SHIFT』(リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット 著,池村 千秋 訳,東洋経済新報社,2016年11月3日)を読了。

こうした人材の集積地(クラスター)は,最初は地元の大学の卒業生グループによって形成されはじめる場合が多い。高いスキルをもった人材が集まれば,企業はおのずとその町に引き寄せられる。そうすると,多くの雇用と高い賃金に誘われて,さらに多くの高スキルの人材がやって来る。集積地はそれこそ磁石のように,優秀な人材を呼び寄せるのだ。集積地の規模が大きくなればなるほど,その町で働くことの価値が高くなる。経済学で言う「ぶ厚い市場」の効果である。(p. 98)

日本では,どの町が該当するだろうか。

この数十年,社会学者の言う「同類婚」が際立って増えている。自分と教育・所得レベルが近い人を結婚相手に選ぶ傾向が強まっているのだ。(p. 100)

自分と教育・所得レベルが近い人を探そうか。

シリコンバレーの起業家マーティン・フォードはこう述べている。「創造的破壊の『破壊』の影響を受けるのがもっぱら小売りや製造といった伝統的な労働集約型の産業で,『創造』の側面によって生まれる新しい企業や産業はあまり人を雇わない――この点が雇用全般に対する脅威だ」。MIT のエリック・ブリニョルフソンとアンドリュー・マカフィーはこう指摘した。「コンピュータやその他のデジタル技術の進歩が人間の知的能力に及ぼす影響は……蒸気機関とそれに続く発明の数々が人間の筋力に及ぼした影響と同じだ」(p. 103)

創造的破壊は,雇用全般に対する脅威ではなく,労働者人口が減ることへの救いとして捉えている。

人生を 100 年とすれば,私たちは一生の間に 87 万 3 000 時間の時間をもっていることになる。なんらかの専門技能を習得するには 1 万時間が必要だとよく言われるが,これだけ多くの時間をもっていれば,生涯に複数の専門技能を学ぶことは不可能ではないし,途方もない難題でもない。(p. 131)

複数の専門分野を学ぶことは,自分の価値を高めることにもつながる。私自身,20 代後半から電力システムを学びそれなりの専門性を身につけた。そして,30 代後半から情報システムを学んでいる。

私たちは健全なお金の使い方と貯め方を実践すべきなのと同じように,健全な生活習慣を実践する必要がある。無形の資産への投資の一環として,適切な食生活を維持し,運動を習慣づけるべきだ。また,医学が進歩すれば,好ましいとされる生活習慣も変わる。最新の医学情報に基づいて行動や習慣を修正するために時間を投資することも忘れてはならない。(pp. 144 - 145)

適切な食生活を維持し,運動を習慣づける,ここ数年の私のテーマだ。

ある幸せな引退者は,ニューヨーク・タイムズ紙に次のような投書を送っている。「引退すると,それまでよりもずっとお金がかからなくなる。そのために,大切なものをあきらめる必要もない……そうしたシンプルな喜びがどれほど大きな『富』を生むかを知っていれば,もっと早く引退したのに」(p. 266)

引退する時期は,いつにしようか。完全に引退ではなく,それなりには働いていたい気もする。

リスク分散のために,投資対象を分散させ,ファンドの運営会社もいくつかにわけている。次に,高齢になると損失を取り返す時間があまりないことをよく理解していて,引退が近づくとポートフォリオのリスクを減らしはじめる。そして,資金計画を立てるとき,資産の市場価値を最大化させることよりも,引退後に安定した収入を確保することを重んじる。(p. 276)

日々,資金計画はローリングしている。

まだ,引退は先なので,資金を増やすため,それなりのリスクは背負う。

フェイスブックの COO を務めるシェリル・サンドバーグは大学を卒業する女性たちに対して,「キャリアに関する最も大きな決断は,パートナーをもつかどうか,パートナーをもつとしてどういう人物を選ぶかという決断である」という言葉を送っている。(p. 324)

パートナーをもつかどうか,という決断は,私はまだ下せていない。

心理学者のゴードン・オルポートの古典的な研究が明らかにしたように,固定観念と偏見を打破する手立ての一つは,集団間の接触を増やすことだ。年齢層の異なる人たちが触れ合う機会が増えれば,人的ネットワークの年齢的な均質性が崩れはじめる。異なる年齢層の人たちが共通の経験をし,それを通じておそらくは友情をはぐくむからだ。こうして,高齢者が「別世界」の住人という状況は変わりはじめるだろう。(p. 353)

異なる年代の人,特にこれまで関わってこなかった若い人との接触を増やそう。

100 年ライフの時代には,人生の時間は,繁殖という進化上の役割を果たすために必要とされるより長く,金銭面の安定を確保するにも十分すぎるくらいになる。子づくりと貯蓄に使わずに済む時間は,どのような活動に費やされるのか?人生のさまざまな時期に時間的ゆとりが増えれば,自分がどういう人間かを探求する機会を得られるのだろうか?それにより,自分が生まれた社会の伝統に従うのではなく,みずからの価値観や希望に沿った生き方ができるようになれば,それ以上の「長寿の贈り物」はおそらくないだろう。(p. 358)

現代の生きる私に与えられた「長寿の贈り物」を十分に活用しよう。