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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

知的生産の技術[電子書籍版]

『知的生産の技術[電子書籍版]』(梅棹忠夫岩波書店,2015年9月17日)を読了。

技術というものは,原則として没個性的である。だれでもが,順序をふんで練習してゆけば,かならず一定の水準に到達できる,という性質をもっている。それは,客観的かつ普遍的で,公開可能なものである。(19 ページ)

技術は練習で身につけることができる。

知的生産というのは,頭をはたらかせて,なにかあたらしいことがら――情報――を,ひとにわかるかたちで提出すること(20 ページ)

Web サイトや Blog を作成するのは,知的生産活動である。

わたしは,なるだけ記憶をたよりにしないようにしている。なかには記憶力のすぐれた人もいるけれど,だいたいにおいて人間の記憶はあてにならない。記憶をたよりに知的作業をすすめようとするひとを,わたしはあまり信用しない。(66 ページ)

人間の記憶はあてにならないので,文献やノートを参照する。

カードは一種のノートであるが,さらに,ノート以上のものでもある。ノートでは,せっかく記録したものが,そのままうずもれてしまって,随時とりだすのがむつかしい。カードは,適当な分類さえしておけば,何年もまえの知識や着想でも,現在のものとして,いつでもたちどころにとりだせる。カード法は,歴史を現在化する技術であり,時間を物質化する方法である。(71 ページ)

カード法を,Web アプリで実践してみる。

知的生産の技術のひとつの要点は,できるだけ障害物をとりのぞいてなめらかな水路をつくることによって,日常の知的活動にともなう情緒的乱流をとりのぞくことだといってよいだろう。精神の層流状態を確保する技術だといってもよい。努力によってえられるものは,精神の安静なのである。(107 ページ)

知的生産の成果物が,ひとにわかってもらえるものであれば,精神は安静。

その日その日の経験やできごとを,できるだけ客観的に,簡潔に記録しておくのである。もちろん,内的な経験を排除する必要はない。思想も,感情も,客観的に,簡潔に記録できるはずのものである。(172 ページ)

簡潔に記録する習慣を身につけている人,身につけていない人の差は,日々,大きくなっていく。

日本人には,自分のしとげた仕事の記録をのこすという習慣が,あまり身についていないようである。どんな仕事でも,日本人のやったことを,すこししらべてみるとわかるが,たいてい,まことに貧弱な記録しかないものである。世界には,いろいろな文化があって,なかにはほとんど実質的な仕事もしていないくせに,報告書その他の書類だけは,やたらに部あついものをつくるので有名な国民もある。そんなのにくらべると,日本人は,記録軽視,成果第一主義で,実質的でたいへんけっこうなのだが,社会的蓄積がきかないという大欠点がある。やはり,どうしてこうなった,ということを,かきのこしておいてくれないと,あとのもののためにならない。(183 ページ)

仕事の記録を残すという習慣は,社会的な蓄積になる。

ムダなように思えるかもしれないが,仕事の記録は財産なのだ。

わたしは,学生時代に,論文をかくときの心得として,つぎのようなことを,きびしくいわれたのをおぼえている。それは,「文章は俳句のつもりでかけ」というのである。つまり,はぶけることばは徹底的にはぶいて,ぎりぎりまで,みじかくせよ,というのである。今日のようにいそがしい世のなかでは,ながい論文など,だれもよんでくれないぞ,とおしえられたのであった。(211 ページ)

省ける言葉を徹底的に省いてしまうと,誤解が生じる恐れもある。

どこまで言葉を省くかは,本当に難しい。