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読まずに死ねない哲学名著50冊

2020年8月29日更新

『読まずに死ねない哲学名著50冊』(平原 卓,フォレスト出版,2016年3月15日発行)を読了。

 哲学はこれまで,普遍的な認識は可能か,よい社会とは何か,恋愛の意味は何か,豊かな生とは何かというような,現代に生きる私たちも抱くことのある問題を提起し,深く納得できるような解を与えてきました。(p. 5)

問題を抱えたら,哲学を紐解くとよい。
かつて,かの哲学者も同じような問題に悩んでいたはずだ。

「情念が到来したら,まずは落ち着くこと。そのうえで,情念を否定するのではなく,知恵によってこれをよく使うこと。なぜなら,情念が人生における楽しさの源泉であるからだ」by デカルト (p. 117)

情念がよく使えば,人生は楽しくなる。

 わかりやすく言えば,数学のように純粋な推論によって世界の全体を認識できるに違いないと考えたのが合理論であり,実験や観察の届くかぎりでしか世界は認識できず,世界の全体など認識できるわけがないと考えたのが経験論だ。(p. 130)

経験論者と合理論者は相容れない。
世界の全体を認識できるわけもないと考える人に,世界の全体を認識できるはずだと考える人は,見ようとしている世界が違う。

 自然的世界と倫理的世界は,予定調和の関係にある。倫理的世界は人間全体にとっての目標となり,それを目がけて行為することが,自然的世界をより善くするための条件である,とライプニッツは論じるのだ。(p. 139)

最後は,調和した世界となるのか。

カントが示すアンチノミー(二律背反)(p. 181)

  1. 世界の空間的・時間的始まりについて
  2. 世界の最小単位について
  3. 自由について
  4. 神について

正命題「世界は空間・時間において有限である」と反命題「世界は空間・時間において無限である」というのは,どちらもありえそうなこと。

「気絶した人があると,水だ,オードコロンだ,ホフマン滴剤だ,と叫ばれる。しかし,絶望しかけている人があったら,可能性をもってこい,可能性をもってこい,可能性のみが唯一の救いだ,と叫ぶことが必要なのだ。(キルケゴール,『死に至る病』)(p. 217)

絶望から救えるのは,可能性だけである。

 本書(『論理哲学論考』)におけるヴィトゲンシュタインの基本の構えは,言語と世界は対応関係にあるはずだ,というものだ。言語は基本要素の「命題」にまで分解でき,それと同様に世界もまた“部品”に分解できる。そのうえで,部品を正しく組み立てていけば,世界のモデルをつくることができる,と考えるのだ。(p. 315)

言語と世界は対応関係にあるという発想は,あまりピンとこない。

「言語に真理はない。あるのは言語ゲームにおける“たまたま”の一致にすぎない」(p. 336)

言語に真理はなく,たまたまの一致だけ。
言語で,真理を語ることはできるのだろうか。

 私たち人間は,過去を引き受けつつ,未来の“あるべき”への選択を通じて,現在の地点において,自分自身を新しくつくりあげていくような存在である。自由とは,まさにこの選択を可能にする根本条件なのだ。(p. 385)

過去から,未来へ進むとき,選択できることが自由なのだ。

「醜さはそれ以上汚しようがないという意味で,そしてエロティシズムの本質は汚すことだという意味で,美は第一に重要なのである。禁止を意味している人間性は,エロティシズムにおいて侵犯されるのだ。人間性は,侵犯され,冒?され,汚されるのだ。差が大きければ大きいほど,汚す行為も深いものになってゆく」(バタイユ『エロティシズム』)(p. 402)

美しいものを汚すことがエロティシズム。

 だが,私たちがいま目撃しているのは何だろうか。多様な世界観が相互に争い,人びとの生を苦しめている光景ではないのか。あるいは,理想を描くことができず,閉塞感のなかでもがいている姿ではないのか。(p. 458)

哲学は,人びとを幸福にすることはできたか。
まだ,人びとの幸福は得られていないようだ。