2020年8月23日更新
『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』(竹田 恒泰,小学館,2011年6月19日発行)を読了。
幕末維新の頃,若者たちは真剣に天下国家を語り,数百年先の日本の姿を想像し,日本の歴史に対する自分たちの責任を意識しながら生きていた。そこには「公」のために生きる若者たちの姿があった。いまに続く日本の国の形が築き上げられたのは,まだ 20 代そこそこの若者たちが,口角泡飛ばしつつ真剣に議論した結果である。(pp. 22-23)
若者たちが,日本の未来を議論しなければ,現状を打開できない。
「放射線は身体に良い」というのは,「今日も元気だ煙草がうまい」というのと同じだけ愚かな見解だと思う。(p. 41)
放射線,煙草,いずれも身体によくないのは間違いない。
むしろ自分とは正反対の意見が並んでいる文章こそ,時間を割き,力を入れて読む価値がある。一頁,一頁,怒り悩みながら読み込んでいくのだ。(p. 59)
『原発はなぜ日本にふさわしくないのか』は,怒り悩みながら読み込む。
日本の電力会社は地域だけではなく,その管轄地域の発電・送電・配電を一括して独占している。この独占のおかげで,市場競争が存在しないため,電力会社のコスト意識はほとんどなく,無駄な投資をしてしまっても,電気料金から確実に回収することができてきた。(pp. 103-104)
コスト意識だけでは,離島や山奥の人に電気を送ることはできない。
目先のコストだけではなく,全体を見てほしい。
気温と二酸化炭素濃度が同時に上昇しているからといって,両者に因果関係があるとは限らない。たとえば,ここ 20 年来少年犯罪と妊娠中絶も上昇しているが,これらと温暖化は無関係であることは明確である。温暖化の議論で,原因と結果がすり替えられているとしたら恐ろしい。(p. 119)
温暖化の原因は一体何なのか。私たちは,騙されているだけなのか。
ある巨大システムが事故を起こす可能性の,ありとあらゆる要素を書き出し,どの程度の確率で最悪の状況が起きるかを検証する方法に「確率論的安全評価法」というものがある。タイタニックの例は,教材としてもよく用いられる典型例だ。その沈没には,いくつもの「もしも」が全て悪い方向に重なってしまったという事実がある。(p. 160)
確率論的安全評価法では,一体どれほど低い確率のものまで,安全対策をしなければならないかを決めることはできるのか。
聖書は「神は大自然の管理者として人間を任命した」と記す。このように,西洋には大自然を克服し,管理し,押さえ込むという発想がある。(p. 179)
大自然を克服する発想は西洋,大自然と共にある発想は東洋,自然は全てを受け入れてくれるのではないか。
トインビーが「神話を教えなくなった国は滅びる」という言葉を遺している。これが正しいなら,日本はじわじわと危機に向かって沈んでいるに違いない。日本民族は 60 年以上,神話をまともに勉強せず,日本の美しい精神を教わることもなく,拝金主義にまみれた,からっぽで空虚なところにはまり込んでしまった。そんな日本だからこそ,神の領域を冒すことすら躊躇しなかったのではないか。原発事故も,人間が傲慢になり過ぎたため,神々から「御注意」をいただいた結果なのかもしれない。(p. 180)
神話を語り継ぐ,それが日本を持続させるための方法である。
憲法改正も,国を持続させるための一つの手段なのではないか。
実は,大和の宗教も,伊勢の宗教も,出雲の宗教も,もともと別のものだったと思われる。しかし『古事記』『日本書紀』を編纂する際には,ばらばらだったかもしれない日本各地の宗教が,見事に調和した一つの物語にパッケージされ,一つの宗教になった。(p. 216)
調和させた人は,大和,伊勢,出雲の宗教に精通した人だったのか。
複数のものをまとめ,一つの物語としたことで,日本は世界に類をみない国となったのだろう。