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義経不死伝説 中津 文彦

2020年8月17日更新

義経不死伝説』(中津 文彦,PHP文庫,2012年12月19日発行)を読了。

 抵抗する術もなく,義朝は「せめて木太刀でも手にあれば!」と憤怒の形相で叫びながら果てた。享年 38,源氏の棟梁としては,あまりも無残な最期だった。(p. 25)

さぞかし無念であろう。
そして木太刀があったならば,どうなっていただろうか。

 義経のその後の戦いぶりをみても,軍という組織のことや,統帥ということについての知識や認識があったようには思われない。戦さの天才であったことは間違いないが,たぶんに独りよがりなところのある人物だったようだ。(p. 70)

独断専行型の人物像が浮かび上がる。

 頼朝が真の力量を発揮したのは,このときからだ。これまでは,構想・ビジョンは先行していたが,実際に平家追討戦を行ったのは義経だった。頼朝は,武人としてよりも政治家としての力量のほうがはるかに優れていたと言えよう。(p. 109)

政治家の頼朝,平家追討の義経がいたからこそ,歴史が動いた。

 源氏の者たちは,義経の戦法を平家追討戦でまざまざと目の当たりにしている。従来の兵法とはまったく違う,意表をつく発想。わずかな兵で思い切った奇襲を仕掛ける大胆さ。攻めて攻めて攻めまくる,阿修羅のような戦いぶり。それは神将の名にふさわしい姿だった。奥州軍は弱体でも,一人義経がいるというだけで十分に恐れるに足る存在だったのだ。(p. 171)

たった一人でも,源氏を恐れさせる存在が義経だった。

 歴史は繰り返す,という言葉がある。あまりいいことの場合には使われないようだが,その一方で「賢者は歴史に学び,愚者は経験に学ぶ」という先人の言葉もある。つまりは,世の中のリーダーたちがすべて賢者であれば歴史上の過ちは繰り返されない,ということになるのだろう。(p. 187)

歴史は繰り返していることから,世の中のリーダーたちは,すべて賢者ではなかった。

 最も利益を得たものが最も怪しい,というのは犯罪捜査のイロハだが,義経ジンギスカン説なるもので利益を得ると思われるのは,元の来襲を前にした当時の鎌倉幕府以外には後にも先にも考えられないのである。(p. 262)

元寇に対するモチベーションを高めるために,作られた物語が,義経ジンギスカン説だったのか。

義経不死伝説

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