2020年6月29日更新
『腐った組織をどうやって救うのか「再生の神」は現場にのみ宿る』(丸瀬 遼,日本実業出版社,2004年2月1日発行)を読了。
建築家のミース・ファン・デル・ローエは,建築における細部(ディテール)の重要性を指摘し,細部の設計が全体を規定するという意味で「神は細部に宿る」という言葉を残している。(p. 26)
全体がよく見えても,細部がよくなければ,ダメなのである。
全体がよいというのは,細部がよいことに他ならない。
かくして,情報を持たず,ビジネスも理解していない人たちが,決定権を握る。この権限と情報の非対称性は,日本の組織のいたるところに見られる構造である。(p. 77)
上下のローテーションも必要なのか。
現実的には無理だろうが。
コンセンサスの誤謬とは,コンセンサスによって導き出された結論が往々にして平凡で誤りに満ちたものになりやすく,しかも組織を危機に陥れる危険性を秘めていることを言う。(p. 101)
コンセンサスを得る,ということは平凡化するということに他ならない。
敵を作る気持ちで行かなければ,コンセンサスの誤謬に陥ってしまう。
一般に,予測はコンセンサスが得られないものほど予測性が強く,コンセンサスが得られやすいものほど事実性が強くなる。そして事実性が強い要素は,すでに相場に織り込まれているはずだから,そこで投資をしてもまったく儲からない。というよりも高値掴み,底値売りをするリスクが大なのである。(p. 104)
コンセンサスが簡単に得られてしまうようでは,新規性はないと考えるべき。
コンセンサスが得られにくいことこそ,改革へのキッカケになりうる。
部長の機能は,リスクを判断して自分の責任で物事を決めていくということにあるのではなく,リスクが可能な限り排除され,形式要件が整った案件を採用するか,そうでなければ拒絶するかのどちらかのみにある。結局,部長が求めているのは,リスクがなく(したがって収益性もほとんど期待できない),できる限り定型化され,事務やシステムへの負担がほとんど発生せず,リスク管理やコンプライアンス部からも指摘事項がないような無難な案件だけなのだ。(p. 130)
無難なことしか決められないのであれば,その決定に意味はない。
リスクを背負う覚悟があるかが,決定者の懐の深さである。
一方で,企画部員は選ばれて配置されているのだから,平均的に見れば優秀な人材と言える。そうした優秀な人材を,付加価値を生み出さない内向きの仕事に大量に投入することそのものが,企業全体の生産性を押し下げることにつながる。本当に優秀な人材ならば,企業本来の業務活動に従事させることによって,より多くの付加価値を生み出せるはずなのだ。(p. 160)
本当に優秀な人は,付加価値を生み出すためのことをするべきである。
積極的に外部と戦わせるべきなのではないか。
まず破壊することから始めなければならない。新しい秩序は,古いものの破壊の上にしか成り立たない。古いものを存続させながら新しいものを作り上げていくという誰にでも納得できるプロセスは,ほとんど常に失敗に終わる。(p. 208)
破壊なくして創造なし。
秩序を生むためには,破壊が必要である。
現状を打破することが,新しいものを生み出すきっかけになる。
非効率の排除に当たっては,誰が何の仕事をどのようにやっているかを明らかにすることが第一歩となる。担当者が仕事を抱えてしまい,何をどのように進めているのかが他者からはわからないようなブラックボックスこそ,非効率の温床である。そうしたブラックボックスを可能な限りつぶしていくのだ。(p. 231)
仕事しているふりをされれば,仕事を削減できない。
何をやっているのか見える化して,他者から見て不要な仕事はやめてしまう。
モチベーションを維持するための改革のリーダーたる経営者の必須条件
- 経営者が高い志を持ち,そして持ち続ける
- 改革の先に何が見えるのかを絶えず示し続ける
- 人件費の一括削減や新規プロジェクトの一律凍結のように,明らかにモチベーションにダメージを与える方策を可能な限り回避する
- 議論を奨励し,コミュニケーションを活発にする努力を怠らない
- 常に率直でいる
改革の先に何が見えるのか,それを示し続けなければ,人はついてこない。