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他人を見下す若者たち 速水 敏彦

2020年6月16日更新

『他人を見下す若者たち』(速水 敏彦,講談社現代新書,2006年2月20日発行)を読了。

 仮想的有能感は,他者をどう見るかという一つの他者評価を基盤にしたものである。他者の能力を低く見るほど自分の能力の自己評価を吊り上げることになる。(p. 7)

他人の能力を低く見積もって,自分が有能であると仮想する。
自分を客観的に見ることができない。

 昨今の若者たちは,自分の人生に明るい未来や心躍るような夢を描いているようには見えない。終戦直後に生まれた人たちの中には,貧しさと戦い,少しでも豊かな生活を希求して,ひた走ってきた人が少なくない。しかし,現代の日本社会では,さらに高い水準の生活は現実的には求めようもなく,物質的に充足した今の若者たちは,人生の目標や夢を見失ったように見える。(p. 56)

人生の目標や夢とは,一体何なのか。私には,わからない。

 世の中を震撼させたオウム事件は,今でも多くの人々の記憶に焼きついているが,カルト集団の信者たちは教祖である「麻原彰晃」を聖者と敬い,自分たちを彼に従って汚れた世の中を救済する「選ばれた者」と思い込んでいた。そして,自分たち以外の大衆を「凡夫」とさげずんでいたことは,正に他者軽視であり,そのような心の持ち方が無差別大量殺人テロにまで発展したのである。(p. 91)

他者を見下す若者たちが,「選ばれた者」と思い込めば,神話的なことさえも起こすことができる。

 カルベロは,自分の部屋でテリーを養生させ,病気から回復させようとする。「生きることに意味がない」と嘆くテリーを,カルベロは「人生は願望であり,意味ではない」と諭す。(p. 184)

「人生は願望である」とは,一体どういうことだろう。
人生そのものが願望なのか。

 日本人は「努力信仰」を持ちということが,しばしば語られてきた。しかし,現代の若者たちは,昔の人たちのように,努力を重視しているとは考えがたい。努力には,どうしても「忍耐」や「我慢」が伴うが,彼ら自身はむしろ,忍耐や我慢をして努力する姿を冷笑するようになったことは確かであろう。現代の若者たちは熱くなれないのだ。忍耐や我慢は,彼らからすれば「かっこ悪いもの」の代表格なのである。(p. 200)

忍耐や我慢は,必要なものである。
「かっこ悪い」といって,避けられるものではない。

 人間は個性化も大切だが,それより前に社会化が必要であろう。社会で共存して生きていくために誰にも必要なことが習得されていなくては,まず人間というものの共通の概念が明確にならない。大げさに言えば,社会化がなされなければ,生きていくために,何がよいことで何が悪いことかの基準が形成されないことになる。社会化が重ねられることで,社会生活をするうえでの自分を評価するための妥当な基準も成立する。(p. 208)

社会で共存していくことで,自分を客観的に捉えることができる。

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)