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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

死の壁 養老孟司

2019年12月30日更新

死の壁』(養老孟司新潮新書,2004年4月15日発行)を読了。

こう考えれば,「生死の境目」「死の瞬間」が厳格に存在しているというのは勝手な思い込みに過ぎないことがわかるはずです。法律上の定義が,死の全貌を示しているとどこかで思いこんだから生じた誤解に過ぎません。人が本当にどの時点で死んだのかというのは実は決定できない。(pp. 58 - 59)

人間のことを成文化するのは難しい。

中国には「墓を暴いて死者に鞭打つ」という考え方があります。これも,日本とは別のルールがあって,中国人は死んだあとも「そいつはそいつだ」と思っているからでしょう。死んだからといって別人になるわけではないのだ,と。(pp. 108 - 109)

中国の考え方の根底には「墓を暴いて死者に鞭打つ」があることを知ったうえで,靖国問題を考える。

そのへんがハーバード・ロースクールと日本の大学との一番違うところです。ハーバード・ロースクールならば,入学者の数分の一しか卒業できない。その代わり卒業生はそのまま検事や弁護士として使える存在になる。これが機能的な教育ということです。職業のための一種の予備校になっている。(p. 116)

日本の大学はバカを勘違いさせて卒業させる。

年寄りが社会の体制をガッチリと抑えてしまって,そこに若い人が増えても仕事がない。そういう時に一番簡単な方法は,戦争を起こして一定の人数を殺してしまうことなのです。あれだけの犠牲者を出しても,ヨーロッパがある意味で安泰だったのは,言ってみれば,人口を減らした「効果」があったからなのではないか。(pp. 123 -124)

戦争には人口を調整する役割もある。

兵隊を死に追いやった重さを乃木大将は背負わなくてはいけなかったからです。エリート,人の上に立つ立場の人というのは,本来こういう覚悟がなくてはいけない。常に民衆を犠牲にしうる立場にいるのだ,という覚悟です。(p. 138)

各党の党首にその覚悟はあるか。

西洋は近代化とともにその状態から脱しましたが,不思議と日本も江戸時代からこういう近代科学に連なる思想が一般的になっていた。これは中国のように強い専制君主がいる国では考えられないことでした。いつも偉い王様がいて,その人の作っているルールと世界観が,自然科学の世界観と繋がっていなくてはならなかった。それは自然科学とは別物になる。(p. 155)

日本は自然科学の世界観を違和感なく受け入れることができる。

こういうことは日本では非常に多いのです。だから役所の書類はあんなに増えるのです。委員会をやれば委員全員に平等に情報が伝わっていないとそれだけで怒る人が表れるのです。「俺は聞いてねえぞ」と。(p. 160)

書類をいっぱい作らされ,結局,読んでもらえず「俺はきいてねえぞ」ではやってられない。

それで彼はホッとした。そもそも悩めない人間だってたくさんいます。そういう人がバカと呼ばれるわけです。悩むのが当たり前だと思っていれば,少なくともそんなに辛い思いをすることはない。(p. 173)

悩むのが当たり前であり,誰だって悩みの一つや二つはある。

死の壁 (新潮新書)

死の壁 (新潮新書)

  • 作者:養老 孟司
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2004/04/16
  • メディア: 新書