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現役サラリーマンのスキルアップのための読書まとめ

ジャーナリズム崩壊

『ジャーナリズム崩壊』(上杉隆幻冬舎新書)読了。

最後に残った護送船団方式の業界こそがマスコミ,中でも記者クラブなのである。その耐用年数もいよいよ限界に近づいている。果たして沈没前にその船団から脱出できるメディアは,生き残れる記者は,一体どれほどいるのだろうか。(p. 8)

護送船団方式を批判してきたマスコミ業界が,最後の護送船団方式の業界で残るとは,何たる皮肉。

円陣を組む「メモ合わせ」は,ジャーナリストとしては致命的な悪習だ。それは単に慣習の問題ではない。世界中のいかなる学校といえどもカンニングを許していないのと同様,世界中のジャーナリズムも記者同士の情報の「照会」を許していない。(p. 40)

 「メモ合わせ」をするくらいであれば,情報をペーパーで提示してもらえばどうか。
それなら,そもそも記者などいらない。

クレジットを隠すこうした姑息な行為は,読者への裏切りに他ならない。そして,こうした見え透いた「トリック」は,結局,新聞自らの信用を貶めることに繋がるだろう。(p. 46)

誰が言ったのか,明らかにしないのは信憑性を疑われる。

ニューヨーク・タイムズの1面の左上には毎日「All the News That's Fit to Print」(掲載に値する全てのニュースを)という言葉が掲載されている。(p. 62)

 掲載に値するものだけという信念がニューヨーク・タイムズにはあるらしい。
メモ合わせしただけの情報なら,掲載に値しない。

Embrace diversity.
(多様な価値観を受け入れよ)
Accept responsibility; delegate authority.
(責任は受任すべし,だが権威は委任すべし)
Maintain perspective and a sense of humor.
(常に大局的に捉え,ユーモアのセンスを忘れるな)
Our journalistic work is sacrosanct.
(ジャーナリズムは神聖不可侵なものと心得よ)
Don't be a slave to budgets.
(カネの亡者となるなかれ)(pp. 62 - 63)

 日本の新聞記者にも心得があるはず。それを実践してほしい。

かつてハワード・フレンチ記者との間で,日本の新聞の経営と編集の区別について話題になったことがある。彼は,米国との違いを挙げながら,半ば呆れてこう語ったものだった。
「仮に,タイムズの経営陣が編集現場に何らかの指示を与えたとする。その瞬間,タイムズは終わりになるだろう。なぜなら記者たちはみな抗議をして辞めてしまうだろうからだ。少なくとも私自身はそうする」(p. 67)

 記者から経営にステップアップする道があり,記者から経営陣に入った人から,記者に指示がある。
そこが日本のマスコミと米国のマスコミの決定的な違いか。

日本の新聞は色を嫌う。どちらかといえば,即戦力よりも無色透明な人材を求める傾向にある。採用後,長い時間をかけてひとりの記者を育てるための研修期間もある。朝日なら朝日,読売なら読売,そうした自社色に染めることが正しいという感覚が疑いもなく受け入れられてきた。それが新卒大学生の大量採用という結果に繋がったと見ることができるだろう。(p. 127)

それぞれの新聞の色に染められていくのだから恐ろしい。
様々な会社があるが,多かれ少なかれ,会社の色に染まっていくのはやむをえないか。

「新卒なんて何も知らないから,誰も採らない,社会勉強をしてから門を叩け」というのが米国の新聞社の流儀なのかもしれない。(p. 132)

米国の新聞記者の精神はとても高そう。

そろそろ醜い「談合」は止めて,情報や公権力へのアクセス権を公平に認めようではないか。自由に競争し,自由に報じればいい,それが,日本のメディアが,読者や視聴者からの信頼を回復する唯一の方策だと思う。(p. 188)

 マスコミは”マスゴミ”と揶揄されていることを知っているのだろうか。
なぜ読者や視聴者に向き合おうとしないのか。

現在の日本にあって,新聞記者ほど,他人のミスに厳しく,逆に自らの過ちに甘い種族はいないのではないかと思う。ミスを犯すことが悪いのではない。間違いを犯した時にその間違いを認めない姿勢が悪いと言いたいのだ。(p. 201)

 人を批判することでしか生きていけない人種は,悲しい人種である。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

  • 作者:上杉 隆
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2008/07/01
  • メディア: 新書