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経済古典は役に立つ

歴史は直線的に発展するのではない。何か一つの支配的なテーゼができると,それに対するアンチテーゼが生まれ,双方が争い合って総合的なテーゼ(ジンテーゼ)になる。しかし,それが支配的になると再びアンチテーゼが現れることになる。そういう弁証法的な発展が歴史の避けられない道なのであって,その基礎にあるのが経済=物質的なものであるという考え方が「弁証法唯物論」である。

 テーゼとアンチテーゼの争いは,繰り返される。

現実には,マルサスリカード,あるいはマルクスが想定したように,子どもの数を増やしていくのではなく,豊かになればなるほど子どもの数を減らしていったのである。これは,まさにいま日本で起こっていることであり,国民の所得が増えるとともに子どもの数は減少したのである。都道府県別に見ても,全国平均で見て所得がいちばん低い沖縄県で最も出生率が高く,所得が最も高い東京都で出生率が低い。

 豊かになればなるほど,子どもの数は減っていくのは,実証されつつある。

新しい世代が縮小していく世の中では,豊かになり続けることはできず,いつの日か衰退へと向かっていくのではないか。

市場は失敗することがありうるが,政府も失敗する。市場の失敗は,たかだか不景気やインフレをもたらすだけだが,政府の失敗(すなわち社会主義全体主義)ははるかに大きな犠牲を強いることになる――こうした主張が展開されているのである。

ひとたび社会主義全体主義となると,それから抜け出すのにどれだけの時間を要することか。

現在,グローバル化による格差問題やリーマン・ショック等々による不況,金融市場の暴走などが高い関心を集めている。このように,何か困ったことが起きると,一部の人々はすぐに政府の出番を求める。しかし,そういう今だからこそ,一種の懐疑主義をもって立ち止まり,「全能の人など存在しえない。だから政府に大きな権限を与えてしまうことは危うい」と考える必要があるのかもしれない。ハイエク個人主義,反全体主義自由主義の思想は,今日の問題解決に多くの示唆を与えている。

 経済を大局的に見つつ,ミクロでも見ることのできる全能の人などいない。誰もが納得できる経済政策自体,あり得ないのではないか。

経済古典は役に立つ (光文社新書)

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