2019年12月2日更新
サンマーク出版『勝負哲学』(岡田武史,羽生善治著,2011年10月5日初版)を読了。
- 1章 勝負勘を研ぎ澄ます
- 2章 何が勝者と敗者を分けるのか
- 3章 理想の勝利を追い求めて
岡田 答えを模索しながら思考やイメージをどんどん突き詰めていくうちにロジックが絞り込まれ,理屈がとんがってくる。ひらめきはその果てにふっと姿を見せるものなんです。(p. 022)
思考やイメージを紙なんかに書き出し,思考やイメージを洗練していく。その先に,モヤモヤとしていた何かがはっきり見えてくる。そんな感覚か。
羽生 盤面をパッと一目見て,「この手がいい」とひらめいた直感はたいてい正しい選択をします。その七割は正しい,というのが私の経験則にもとづいた実感です。(p. 028)
過去の経験がベースとなり,正しい選択ができる直感が生まれる。経験がないうちは,あれこれと考えるしかない。
羽生 定跡という知識を実践的な知恵に変えなくては勝負にならない(p. 039)
プロ棋士は定跡を当然知っているので,そこから一歩踏み込み,何かの工夫を加えなければ,プロ同士の戦いに勝てない。
岡田 あいつに負けたくないという競争心は強いモチベーションになりますが,同時に,自分の個性や役割を見失ってしまう原因にもなるんです。(p. 128)
競争相手を意識しすぎて,自分の個性や役割を見失わないようにする。
岡田 食べるのに必死なとき,人間は「生きる意味」を考えないものです。パンが足りたときに初めて,パンのみにて生きるにあらずと哲学的な問いを発するわけで,日本はパンが足りたことで必死に生きる力を衰弱させてしまったのかもしれません。であれば,いまは少し野生のほうへ針を戻す時期だと思います。(p. 140)
パンが足りて,十分な時間があるとき,人は哲学者になる。
岡田 人の能力を「引き出す」ためには,教えすぎるよりも教えすぎないほうがずっと効果的でしょうね。とくに日本人はまじめだから,ひとつひとつの指導や指示をまともに受け止めすぎるところがあります。パスをしろといったら,パスしかしないような。それは勤勉で誠実な日本人の美点である反面,自主性や野生の欠乏にもつながっています。(p. 146)
相手のレベルによっては,教えすぎないことの方が効果的なこともある。
羽生 もっともっと「将棋の深み」のようなものに出会いたい(p. 187)
将棋界のトップ棋士である羽生氏は,「将棋の深み」を覗き込めるところにいると思うが,さらなる深みに出会いたいという。そのことが彼のモチベーションなのだろう。
岡田 負けも必要だから起こる,と。いまより少しでも高いところへ行くために,この負けがあるんだ(p. 219)
勝ってばかりだと,今のやり方が正しいと錯覚してしまう。負けることで,今のやり方に改善を加え,よりよいものを目指せるようになる。