2019年12月23日
『リクルート事件・江副浩正の真実』(江副浩正*1,中央公論新社,2009年10月25日 初版)を読了。
政治献金なしには良い政治家が輩出しない。良い政治家が出てこなければ,良い国にすることは難しい。代議士は「この国を良くしたい」と思っているが,代議士の身分でいること自体にお金は必要なのである。そのような事情を知って,さらに私は献金やパーティ券の購入を拡大していった。(p. 65)
良い政治家を支援する,それ自体は良いことと思われる。
その房内ノートの最初のページには,次のようなことが書いてある。(p. 127)
- 早く出たがらない。
- 絶好の勉強のときと思うこと。
- 悲観したり怒ったりしてもどうにもならない。ここにいる間を天与の休暇と考える。
- 辛い環境は自分で克服しなければならぬ。いまがよい環境なのだと思う勇気を持つ。
- 初春に 向かいて思う我が人生の 安比に寄せる 熱い恋
今の私の境遇では,最初の三つのことは非常に共感できる。
日本には,儒教に由来する倫理上の悪がある。これは法律上の罪とは別のモラル・ハザード。法律上の罪とされるのは,いわば最低限の規範である。道義的に良くないことは,法律の上の罪より広い範囲に及ぶ。(p. 183)
今の行いは,道義的に良いことか,そう考えてみることは行いの是非を見極める材料となる。
すべての国民が同じ教育水準,同じ生活水準であることが理想と考えるのが日本のリーダー。だが,市場経済のもとでは,自ずと格差は生じる。日本は教育格差や所得格差が少なく落ちこぼれる人が少ない。中曽根総理に限らず日本のリーダーはマルクスが理想とした国家観が考え方のベースになっている――そんなことを思いつつ,私は帰途についた。(p. 202)
教育格差や所得格差を極力減らそうとした結果が,今の世の中。
別の国では,とんでもなく頭のいい人や,とんでもない金持ちがいるのに,日本にはそんな人は不要なのか。
裁判所がメディアに迎合すれば,メディアは「第三の権力」として,さらに大きな力を持つことになる。そして,その力がますます判決に影響を及ぼすという悪循環が生まれてしまう。
裁判所が独自の判決をすれば,メディアの報道も慎重になっていくだろうと私は思った。(p. 310)
裁判所は,メディアに迎合してはならない。どこかの国の裁判所みたいになってしまう。