2019年12月22日更新
新聞よりもネットがライフラインになっていた。それにもかかわらず大手メディアはその発信を妨害しようとしてきたんです。はっきり言って,ライフラインを止める,情報源を止めるってことは殺人に加担していると言っても大げさではない(p. 35)
大手メディアに,情報を妨げる権利はあるのだろうか。
日本の新聞社では,ニュースに対する発言権や決定権は入社年次と年功序列で決まります。(p. 41)
日本の企業であれば,入社年次と年功序列で発言権や決定権が決まるのは,仕方が無い。
テレビ・新聞のせいだろうか。それとも人間の見たくないものは見ない,という性質によるものだろうか。
いや,日本の中では勝間さんがメインストリームだったわけですよ。情報に対して,この程度の認識の人をメインストリームにするっていうことは,全体的にレベルが低いっていうことですよ。(p. 83)
勝間さんは,メインストリームだったのか。
多様な意見や価値観をみんなで提示する場なのに,「正誤」とか「善悪」とか二分法で決めようとしているのは感じる(p. 163 -164)
単一民族に近い日本では,多様な意見や価値観を受け入れる土壌はないのか。
「新聞は多様な社会の意見交換の場であるべきだ」という考え方があるからなんです。「新聞=パブリック・フォーラム」という考え方なんですよ。だから「社論」はないんです。(p. 220)
新聞は各紙の色が出ているけれど,記者の色まで感じることはできない。
ワシントンとカリフォルニアに取材に行った時,アメリカの記者たちに「紙からインターネットになっても変わらないジャーナリズムの原理って何だと思う」と片っ端から聞いてみた。答えは「フェアネス」「インディペンデンス(独立)」「オブジェクトティビティ(客観)」だった。これを日本のメインストリームメディアは守れているのか。ものすごく心もとない。(p. 293)
スクープや特ダネの質が低下しているように感じることに関係があるか。メディアは大衆契合ではなく,「フェアネス」「インディペンデンス」「オブジェクティビティ」を貫いてほしい。
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